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Frosty Night(逝くなら霜夜に!)

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この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため

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c0007384_8243820.jpgいつもえらそーなことを書いているが、実は自信がない。
自信がないというか、自信がある状態というのがよくわからない。
『自信がある』という人は、いったいなにを頼りにそう言い切れるのか教えてほしい。

道端のサザンカがきれいに咲いていた。
サザンカは自分に自信がないなんて思わないだろう。
だってサザンカはサザンカにしかなりようがないから。

私だって私以外にはなりようがないのだが、そもそも『私』というものがうつろいやすくはかない幻みたいなものなので、そんなもの頼りにできるわけがない。

親の庇護下にあったときは、明確な指針があった。
親の言うことをきき、家の手伝いをよくやり、成績がよくて、友達が多く、先生にも気に入られ、つまりは社会に出て役に立つ人間になれ、と親はあらぬ期待(ありがちな期待というべきか?)をかけていたように思う。
もちろんそんな都合のいい人間にはなりようがないのだが、末っ子で要領がよく小器用だったことが災いして、私の自信はいかに人から評価されるか、という基準で培われていった。

その基準で言ったら、成績はよかったです。
なんのバイトをしても、使えると言われていい気になっていたし、正直、私のようにできないヤツは馬鹿にしていた。
他人と比較して優れていることを自信というなら、あのころの私は自信満々だったな。
あんなのが『自信』というものの正体なら、今の私はもういらないけどね。

この間、『もっと自信をもって! 大丈夫だよ。自分の積み上げてきたことを振り返ってみて』と言ってもらった。
そんなことを言われて改めて考えてみたら、自信がなくて、不安で、心細くて、それが凝り固まって重く冷たく凍っている自分の一部を発見してしてしまい、非常にとまどっている。

こんなに自信がなかったのかよ、私・・・。
でもそれは、多面体である自分の中のある一部分でしかない。
見てみないふりをすることはもうできないけれど、そこにばかり焦点をあてても、真実の私が浮かび上がるわけではない。
そういうダークな部分があることを受け入れつつ、これからどんな自分になっていきたいか? の方が私には重要だし。

私はもっと伸びていきたい。
愛する人と上手にコミュニケーションがとれるようになりたい。
自分が受け入れられないと思うことに、過剰反応しないようになりたい。
愛することと、現実的に生きることのバランスをうまくとれるようになりたい。
つまらないことに傷ついたり、過去のパターンで泣いたりしたくない。
そしてなにより簡単にあきらめたくない。

自信はなくてもいいかな。
真摯に人生を積み上げているうちに、「おお、これが自信を持つってことか!」ってわかったら、またご報告しますわ。
by linket | 2006-11-26 08:24 | ●鬱は自立の第一歩 | Trackback | Comments(6)
c0007384_17273740.jpg先日、肺炎の快気祝いという名目で、会社の方と博多モツ鍋を食べに行った。
普段、臓物系はあまり食べないので、実は「おいしい」と言われても半信半疑だったのだけれど、食べてみたらおいしかった!

おいしいので、パクパク食べる。
そして勧められるまま、梅酒のロックをコップに半分ほど飲む。

お酒は弱いです。
子供のときも、梅酒の梅を隠れて食べると顔が赤くなってすぐにバレた。
「酒はうまい!」とあまり思ったことがない。
だいたい普段から言いたいことを言って、酒を飲まないと外せないタガなどないので、酒を飲むことでストレス発散したいという欲求もないし。

さらに、何年か前に、日本酒を一合ほど飲んで電車に乗ったら、電車の中でブッ倒れたことがあり、それ以来、用心していたはずだったのだけど、なんせね、今回は梅酒だったので、油断した。
ひと通りモツ鍋を楽しみ、鍋にチャンポンの麺が投入されたころ、ちょっと酔いが回ってきた。

  キモチワル〜〜

せっかくおいしくいただいたモツだけれど、ここはサッサと吐いてしまった方が楽になるし、みなさんに迷惑をおかけしないだろうと判断。
「すいません、ちょっとトイレに・・・」
と、立ち上がろうとしたら、グラッと、グラッと・・・

気がついたら、取り皿に残っていた油ギトギトのモツスープをひっくり返して突っ伏した私のまわりで、店員さんがおしぼりで汚れたテーブルを拭き拭きしており、上司が『救急車呼ぶか!?』と叫んでいた。

「だ、大丈夫です。すいません、一瞬寝てしまいました〜〜!」
と、とんちんかんな応答をする私。
いま考えると、どーみても寝たという状況ではなかったのだが、そのときは自分は寝たのだと信じていた。
なんとものんきに正気にもどった私に、上司は心配を通り越したのか説教を始める。
まだ朦朧としていたので、よく理解できないまま、『すいません、ごめんなさい』を繰り返す私。
どうやら上司は、『公衆の面前で酒に呑まれて正気を失うなど、恥ずべき事なのだ』ということを言いたいらしいとわかってきたころ、意識もはっきりとしてきた。

それにしても、なんか変なブッ飛び方だったわ。
ほんとに具合が悪かったのはその一瞬だけで、店員さんが持ってきてくれた水を飲んだら、ほんの2〜3分で酔いも醒め、感覚もはっきりしてきたんだよね。
酒に酔っていたのなら、もっと酔いが長引かないか?

う〜ん、まだ本調子じゃなかったのかも。
それとも身体に残っていた抗生物質の副作用か?

いずれにしても、もう酒はやめておこう。
まあ、こんな状況を目の前にしたら、会社の人ももう私に飲ませようなんて思わないだろうから、それだけはラッキーだったかも。

■追記■
「それは貧血性の立ちくらみ? 空きっ腹にお酒を飲むとなりやすいそうですよ」というコメントをいただきました。
なるほど、確かに貧血で倒れるときのブッ飛び方です。
貧血の方、くれぐれもお酒には気をつけましょうね。
by linket | 2006-11-23 17:39 | ●浮き世ネタ | Trackback | Comments(2)

感謝は人生の設計図

c0007384_7591045.jpg『なにごとにも感謝する』というのが、胡散臭く思えてなかなかできない。
なんかさ、『感謝の言葉を口にしていると、結局は自分に返ってくるから感謝する』的なところが、打算ぽくてさー、イヤだったんだよね。
それに目の前で
「お前なんか訳もなく大っきらいだ!」
と言った人に、感謝するなんてできない。
まあ、ここまでわかりやすくないにしても、相手によかれと思って行動したことが
「余分なことしやがって!」
と否定されて、愕然としたりするときに、「ああ、言ってくれてありがとう」なんて簡単に思えない。
でも自分の思い通りのことを言ってくれなかった相手を責めたところで、結局は自分が辛くて重くてしんどくなるのも、もういいかげんわかっている。

自分に自信がないから、てっとりばやく他人をなんとかしようとしがちなのだが、結局はそれって他人に依存したり、束縛したりしてるってことだ。
なるようになると信用できない。
不安な過去の事例を何百も並べて、「どうせ悪い方に向かうに決まっている」と思う方が安心な自分がいる。

ああ、やだ、本当にイヤだ。
と思っていたら、夢の中で

『感謝は人生の設計図』という言葉をもらった。

浮き世に持ってくるうちに、言葉の壁でドンピシャ感が薄れてしまったが、感謝している(つまりは自分の人生はなるようになると信用している)と、人生の設計図がどんどんはっきりと見えてくるので、ますますドーンと構えていられるよ、というようなメッセージだった。
ほんと、言葉にするのは不自由だな。
もっと奥深いメッセージだったのに、うまく言葉にできない。

自分が得をしたいからなにかに感謝するんではなくて、人生は信頼するに値すると知っているから感謝すればいいのか。
わかったような、わからないような。
でもこれからはできるだけ感謝するようにする。
ありがとうって、なんに対しても思えたら美しいだろうし。
まずは形から入るのも、パラダイムシフトのスイッチを押すのには有効かもしれない。
とにかくなんでもいいから、形を変えていきたいので、できそうなことはなんでも試してみよう。
by linket | 2006-11-21 08:12 | ●平熱スピリチュアル | Trackback | Comments(7)

この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため


by hami