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Frosty Night(逝くなら霜夜に!)

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この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため

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愛し愛され

c0007384_18105698.jpg
できれば、スーパーウーマンになりたいね。
働き者で健康で、朗らかで料理がうまくて、さらに美人でしっかり者・・・

そんなヤツいるかいっ!!

いえ、バカげた話ではなく、私は本当にそんな自分になろうとして、頑張って頑張って頑張って生きていた時がある。
私が私以外のなに者かになれるはずはないのに。
スーパーウーマンは誰かに都合よくは愛されるけれど、私でない私を、私が許せるはずがない。
だから私は壊れたんだと思う。
自分が自分でないことに怒って、そんな偽りの自分を解体してしまったんだ。

働けなくて、体調が悪く、ご飯も作れず、迷惑ばかりかける私を、なぜか家族も友人も見捨てなかった。
どうして?
こんなどーしよーもない私が許されるハズがないじゃない。
みんなが許しても、私は許せないわ!
だって私はこんな愚図じゃないもの!
もっと頑張れるもの!
と、偽りの私が叫ぶ。
バラバラだ。
私はバラバラだ。

バラバラになった一つひとつのピースを、つなげていったら新しい私ができた。
パワーがなかったので元より小さな私しかできなかったけど、これがミニマムな私。
これさえあれば生きていける、必要最低限の私。

必要最低限の私は小さいから、一人ではなにもできない。
生きていくために、みんなの手を借りる。
私はみんなに許されている。
こんなにならないと気がつかなかった。
でも、気づいてよかった。
スーパーウーマンでいるよりも、それは大きな恩寵だ。

だれかにこんなことを言われたことがある。

  愛するばかりじゃなくて、
  もっと愛されることも勉強しないと
  生きていけないよ

ほんとだね。
愛を受け取ることを自分に許さないと、うまく回らないよね。

♪愛されるよりも愛したい

なんて歌があったが、どっちかだけではダメなんだ。
愛し愛されて、ものごとはめぐっていくのだよね。
by linket | 2005-09-16 18:24 | ●鬱は自立の第一歩 | Trackback | Comments(2)

だからダメなんだ!

<食生活>満腹はがん招く? 緑茶・キャベツはよい効果
昭和ひとけた生まれの母は、腹一杯食べる人が好き。
とにかく母が用意したご飯をモリモリ食べて、「うまい!うまい!」と言ってくれる人がいると母の機嫌はすこぶるいい。
お客さんが来ると、相手の腹具合など考えずに、
「もっと食べろ、もっと食べろ」
とけしかける。
まあ、母に限ったことではないのかもしれない。
腹一杯食べさせることは最高のもてなしであり、出された方は残さず食べることが礼儀であるとされるのだから。

夏に実家に帰ったときのことである。
母が朝食用のご飯をてんこ盛りに盛りつけて、食卓に運んできた。
私が普段食べる量の倍は入っている。
私よりご飯を食べない娘に「ご飯多い?」と聞く。
当然「多い」という返事。
ちなみに、ご飯のとなりの椀には、夕べの残りのうどんを煮込んだものが添えられているのだ。
いつもはパン食である私と娘には、かなり重量級な朝食である。
私は娘と私の茶碗を持ち、「多いから減らすね」と言って台所に立った。
背中から母の
「だからダメなんだ!」
という裁定が大声で下される。
「うちの子ども達のどこがどうダメなんですか?」
と、ついムキになる私。
「若いのに、それしか食べないなんて……。見てみろ! 私なんか70歳超えたってまだこんなにたくさん食べるんだ。」

ハァ・・・・
確かにそのお歳で病気一つせず、元気でいられることは本当に尊敬しております。
確かに私はあなたほどの強靱な身体も心もなく、鬱になって死にそうな目にも遭いました。

だからって、娘は別にダイエットしてガリガリに痩せているわけでもなく、病気もせずに皆勤賞で学校に通っているんだよ。
なにがどうダメだって言うのさ!
だいたい、あなたが私の娘ぐらいの年頃には、戦中戦後で、腹一杯食えなかったわけでしょ?
それでこんなに今元気にしてるんだから、そんなに食わなくってもいいっていうことじゃないの?

と、口に出したら喧嘩になりそうなことを飲み込みながら、黙ってご飯を減らす。
この場合の目的は、母との意見の違いを埋めるべく不毛な言い争いをすることではなく、食べられないご飯の無駄を減らすことにあるのだ、と自らに言い聞かせつつ。

もういい加減止めようよ、腹一杯食べるのが幸せなんだっていう思いこみ。
あっ、食べたい人が食べるのはいいんだけどね、食べたくない人に強制しないでほしい。
実家に行くと、必ず太って便秘になって、体調が悪くなる。
これのどこが健康的なんだ!
人それぞれの食生活があっていいじゃないか。
成人の必要カロリーは一日○○○カロリーとか、一日に30種類の以上の食品を摂りましょうとか、本当に必要なんだろうか?

牛乳はガンにならないって、毎日牛乳飲んでいた叔父は、胃ガンで亡くなった(もしかして、満腹になるまで牛乳を飲み続けてしまったのか!?)。
肺炎で死んだ父の肺は相当炎症がひどく、「普通だったらこんなに生きていられるはずがない」という貴重なサンプルとして、肺の組織を病院に保管された。
人が生きていくということはきっといろいろ複雑なメカニズムが働いているのだ。
あんまり考えすぎると病気になりそうなので、私は食べたいものを食べたいだけ食べて、つつましく生きていければそれでいいと思っている。
by linket | 2005-09-04 13:49 | ●母と仲良くしたいけど | Trackback | Comments(0)
トラバさせていただいたのは、倫子さんのお嬢さんの愛が足りないけどにせものじゃダメだよ話。

c0007384_935582.jpg私はずっと親(特に母親)には、嫌われていると思っていた。
別に虐待を受けたとかではないのだけれど、愛されているという実感を持ったことがない。
多分小学校の頃だったと思うが、母と昼メロを見ていたら、こんなシーンに出くわした。

「ねぇ、ママ、私のこと愛してる?」
と子役の女の子がいい、
「もちろん、愛してるわよ」
と母親役の女優さんが返す。

私は間髪入れずに、ずっと口にしてみたかったことを母にぶつけた。
「ねぇ、私のこと愛してる?」
母は、やや大げさに
「愛してるよ」
と言った。

ああ、あの時の居心地の悪さ!
いま思い出しても背筋がゾゾッとするというか、チョコレート食べたら銀紙も一緒にかんじゃったよ、ザリッ!みたいな違和感がある。
母は別に嘘をいったわけではないと思うが、私には母の言葉が嘘くさく聞こえてたまらなかったのだ。

自分が22歳で母になったとき、私はすべてを注ぎ込んで一生懸命に子育てをした。
もっとも育児書や本やドラマで、小さなか弱い生き物をどうやって世話したらいいかの情報はいくらでも手に入ったけれど、『慈しむ気持ち』みたいなものがどうしてもよくわからず、わからないから情報を頼りに完璧な子育てを目指していただけのように今は思う。

 ・赤ちゃんのためにも環境のためにも紙おむつを使わず布おむつ(私って偉い?)
 ・(体重の増え方が少ないと保健婦さんに言われようと!)絶対なにがあっても母乳育児
 ・食べ物は無農薬野菜やall天然物(夫には嫌がられたな)
 ・着る物は母の手作り(貧乏だったせいもあるが)
 ・胎教は(聞いたこともない)クラシック音楽
 ・寝る前は本の読み聞かせ(できないときのための自作カセットも吹き込んだ)

こんなことしてたら、ぶっ壊れるよな・・・バカだね、昔の自分。
こんなバカ親に育てられたにもかかわらず、娘はほんとにすくすくと育ってくれた。
それにしても、私には娘がなぜこうもひねくれたりせずに毎日生きているのか、全然わけがわからなかった。
それに比べて、私は相変わらずひねていた。

娘が中学生になった夏休みのことだ。
部活動の練習に連日出かける娘に、私は弁当を作らねばならなかった。
鬱で体調もすぐれず、仕事やPTA役員も忙しく、毎朝早起きして弁当をつくるのは、私にとって苦行以外のなにものでもなかった。
そんなにいやならコンビニ弁当でも持たせればいいものを、それを許したら堕落の坂を転げ落ちてしまうような危機感があってどうしてもその一線が越えられない。
義務感だけで作った(というか、ほとんどは冷凍食品をチンして詰め合わせた)だけの弁当を、娘は必ず
「ありがとう!」
と優しく言って持っていく。
私はそれがイヤで仕方がなかった。

こんなテキトーな弁当に、そんな特別の笑顔で「ありがとう!」なんて言わないでよ!
昔母親に「愛してる?」って聞いちゃったときみたいな違和感がたまんないんだよ!!
相当、ねじれている私。

それでも娘は毎日「ありがとう!」とほほえんでお礼を言う。
ときには私の顔色をうかがって、遠慮がちながら「ありがとう!」と言う。
私は罪悪感さえ抱いて、毎日その「ありがとう!」爆弾をやり過ごす。

そしてついに、娘が勝利する日が来る。
ある日、私はいつもの娘の「ありがとう!」攻撃に、突然なぜか涙が止まらなくなってしまった。
ごめんねとありがとうがごちゃ混ぜになって、とうてい言葉で説明できる状況ではない中、娘にお弁当を持たせて送り出し、号泣した。

私は、愛するってことがどういうことか知らなかったのだ。
条件がよくなければ、愛される(赦される)はずがないと思い込んでいたのだ。
パーフェクトな母でなければ、子どもに愛されないと思っていたから、鬱っぽく、冷食チンの弁当を持たせるような自分が子どもから赦されてはいけないのだと信じていた。
それは自分がパーフェクトでなければ親から愛されないという子どものころの誤解から生じており、もっとさかのぼれば、私の母自身もパーフェクトでなければ、愛し愛されないという価値観で生きていたことの連綿とした結果でもあった。

私は娘のたゆまぬ愛があって初めて母もどきになれたという失格母なのである。
娘よ、本当にありがとう!
生まれてくれてありがとう!
by linket | 2005-09-02 09:36 | ●母と仲良くしたいけど | Trackback | Comments(0)

この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため


by hami