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Frosty Night(逝くなら霜夜に!)

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この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため

『きみの道は従う道でもある』

c0007384_832911.jpg《きみが頼りなく握っている古い用済みの概念を、
枝にしがみついている葉をもぎとるようにはぎとってやろう。

きみの道は従う道でもある。
解放されるために行け。

それには人間の言葉で言う勇気がいる。
知らない道、悟りの道、「大いなる存在」を知る道だ。》


上記は、マイケル・J・ローズ『魂との対話』より抜粋。

私はわがままだ。
ずっと自分の考えに従って生きてきた。
例え誰かの考えに合わせなければならないときでも、
「私はそうは思わないけど、場面でお前の言うことをきいてやってるんだ」
という態度だった。
表面的に服従したふりをしているだけで、心から従っていたわけではない。
誰かのいいなりになるのはまっぴらごめんだ。

私はこれが好きだ。
私はこれが大事だ。
ほかはいらない。

そうやって、「私という人間はこういう人間です」という、アイデンティティらしきものを、私は自我で作り上げてきたのだ。

お気に入りの服や着物
こだわり抜いたアッサムティー
機能的な家電やパソコン
読んできた本
書き連ねてきた日記の言葉

そんなものが私のアイデンティティなのだろうか?
以前、テレビに出ていたブランド好きなセレブ奥様が、何十個というブランドバッグを並べて、
「これが私のアイデンティティなの」
って、言うのをせせら笑ったことがあったが、私だって似たようなものなんじゃないか。

最近、なんだか苦しくてたまらない。
私が頑張って私を作ってきたことは間違いではないけれど、その方法でできることに行き詰まりを感じている。
そんな『古い用済みの概念』は捨て去ってしまいたい。

従うことは、不自由になることだと思ってきたけれど、違うのかもしれない。
去年のいまごろ、『手放すことが自由への道』という言葉に共振したのだが、手放すというのは、自我を手放すということでもあるのだと、一年経った今、思う。
自分が執着して手に持っているものを手放すだけでなく、自分が嫌いだからと拒否することそのものも手放すことが必要なわけで、そこには自我の選択肢はない。
選択肢はないのに、その方が自由なのだ。
そこを信頼できるようになったら、どんなに楽だろう!

友達が、真珠の話をしてくれた。
アコヤ貝は異物であるものを身のうちに受け入れ、時間をかけてあんなにも繊細できれいな真珠に育て上げる。

私にもできるだろうか?
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Commented by ジャスパー at 2007-10-26 14:57 x
この記事を「そうなんだぁー…」と読んでいる最中に、パソコンの横に置いていた本日羽化予定の蝶がガバッと出てきたので、なんとなく吉祥のような気がして、何か書こうと思うんですけど何も浮かばないまま書いてます(笑)
自分がどのブランドバックを集めるかとか、どんな家に住むかとか、好きなお茶や洋服や本などなどは、日本語で使うところの「センス」とか「スタイル」のようなもので、自己のアイデンティティとはまたちょっと違うような気もします。なんてったってひとたび火事になると全部燃えちまうような不確定なシロモノなのですっ(笑)。
linketさんはプライド(良い意味での自尊の心、自己の内に構築したもの)の領域の話をされているのではないのかなあとチラッと思ったりしたんですが、どうでしょう。自我(エゴ)と自己(セルフ)の問題を同時に考えてしまうと時々混乱が起きること、あります。
勝手ながら私にはlinketさんはとても自由な人に映っているのですが…(^-^;)
失礼あったらすみません、蝶のせいです(笑)
Commented by linket at 2007-10-27 07:43
◆ジャスパー様、コメありがとうです!
こういう記事って、自分的はすごく葛藤や問題を含んで書いているのですが、コメントいただけること少ないのでうれしいです。

私も、自我と自己は違うものだ、と思ってきたのですが、なんか最近、たいした違いなんかないんじゃないか?という気がしてきて。

>なんてったってひとたび火事になると全部燃えちまうような不確定なシロモノなのですっ(笑)。

私が作ってきた自己(セルフ)なんて、家事があったら全焼してしまいますよ、現時点では。
というか、それでいいのか? そういうことも含めて、この世は無常で、空なのか? と屁理屈こねてみたりする秋。

アゲハ蝶さん、誕生おめでとう。
そして応援ありがとう!
Commented by ジャスパー at 2007-10-27 14:33 x
ぎゃー。昨日あれから自分の書いたコメを読み直して、これだとなんだかトゲがあってマズイ!と感じ、雨に濡れたチワワのようにプルプル震えながらlinketさんのレスを待っておりました(笑)
なので、ありがとうございます。linketさんの想いから遠く外したコメではがゆい思いをさせてしまったなら申し訳ありませーん。文字書くのって難しいです。
linketさんが苦しいとか書いてるの見ると、なんだか遠く離れたところにいる恋人の不調を知りつつ何にも出来ない自分…って感じの焦りを感じます。あはは。
もうこうなったら来世はカイのような素敵な男になって、某リ○カさんと争奪戦しますわ(笑)
でも、この世は無常でしょう、きっと。人間は「死ぬ」ということを知っている唯一の動物であります。だからこそ、他者や自分や、紅茶のひとときを愛するという感情が与えられているのだとそんな気もします。それが幸いなことなのかどうかは私にはわかりませんが…。
そう言えば、先日の北山さんのブログに小さな詩が載っていましたよ。
http://native.way-nifty.com/native_heart/
Commented by クリスマスローズ at 2007-10-27 14:33 x
読ませていただいているうちに私の今の状況に想いが馳せてしまい書かせていただいてしまいました。鬱に陥って5年自己も自我も崩壊してしまったような時間を生きています。それまでの人生で形の整ったブロックよりかけらのようなブロックのほうが遥かに多くとも積み上げてきた自己があったのにぼろぼろと崩れて足元は瓦礫の山。それを見つめてオロオロとしている自分。こんなに欠片のようなものを積み上げていたのに根拠のない自信と勇気をもって生きていたんだなあ。まるで生まれたての赤ん坊のように自分では何もできない、何もわからない自分がいて。
 以前の私のようになりたいと思ったらそう出来なくて苦しいばかり。手放したくて手放したわけではないけれど、そのまま取り戻したらいいということではないんでしょうね。生きていくには再構築が必要なんでしょう。
Commented by linket at 2007-10-27 19:51
◆ジャスパー様
ああ、そんな気を揉ませていたなんて、ごめんなさい。
>linketさんが苦しいとか書いてるの見ると、なんだか遠く離れたところにいる恋人の不調を知りつつ何にも出来ない自分…って感じの焦りを感じます。
って、もーー♡愛をありがとう!
愛する男を捨てても生きていけそうな気分になりましたわ。

北山さんのブログ見ました。
なんかこの苦しさは、無理矢理異物を入れられたアコヤ貝の傷みと申しましょうか、あるいは自分の一部であった外皮が、実はもうサナギになっていて、自分を閉じこめているのでどうしたらいいか分からずにジタバタ暴れている!というような状態です。
そのうち時が満ちて、バリッと背中が割れるのを待っていましょう。
Commented by linket at 2007-10-27 19:58
◆クリスマスローズ様
コメありがとうございます。
私、鬱を経験してよかったなと思うのです、今になると。
クリスマスローズ様の言葉からも、そんな気持ちをくみ取ったのですが、違ったらごめんなさい。
鬱になって、壊れて、もう取り返しのつかない深みのはまって、戻ってこれない人って確かにいるんですけど、クリスマスローズ様は大丈夫な匂いがします。
今は頼りないけど、きっとまた元気になって(それは昔の元気とは違うけど)ご活躍する日がきますよ。
私はホラは吹くけど、嘘はつかないんです!

余談ですが、クリスマスローズって、私大好きです。
大好きな冬に凛と咲くし、植物を枯らす女の私でも育てられるとってもタフな花なんですもの!
Commented by takakozuno at 2007-10-29 10:41 x
おっしゃってること、わかる、、、と思います(曖昧ですみません。

自己を表現する術をもたないものは、その周辺のものに自分を投影させる傾向がある、と哲学者ラッセルさんが書いていた様な。多分バッグの夫人はそうじゃないのかな、と。
linketさんは、言葉で上手に自己を表現されているな、と感心しております。
Commented by okimuff at 2007-10-29 22:22 x
linketさん、takakozunoさんが仰るように、本当に上手に言っていらしゃるなと感心。人様が言ったものを見、ふむふむ、そうそう、なんてばかりの私です。どうも『自我』の定義はあっても、解釈は人様々のような気がします。
<手放すというのは~と、一年経った今、思う。>・・・・『私の自我』を『私』は私である限り手放せないと思うのです。
<自分が嫌いだからと拒否する~選択肢はないのに、その方が自由なのだ>・・・拒否することも、手放すことも自我のしていることと思ってます。自我が『私』を自由にもする、と考えてます。
自分の拘るもの(抽象的なものも含み)、自分を縛り付けているものを見極め、そこから自由になろうと、自分が決めればいいのかな、と考えています。linketさんの仰っている事と、見当違いだったらごめんなさい。私も、結局は思い詰め、さまよい、道を求めています。何もないところで(裸一貫というのかな)やっていけるところの自分だけが、信じられるかな。なんだか、こうして書いていても、うまく伝わるかどうかは自信ないですが、コメントせずに入られませんでした。失礼があったらごめんなさい。
Commented by linket at 2007-10-30 09:37
◆takakozuno様
コメ、ありがとうです。

>表現する術をもたないものは、その周辺のものに自分を投影させる傾向がある
なるほど〜。
私、小さいころから「自分の考えを言葉にする」みたいなハッキリした子供だったんで、自分の子供があんまり気持ちを言葉にしないのが、理解できなかったんですよ。
「ちゃんと思ってることを言いなさい!気持ちを言葉にしなさい」って、よく叱りました。
でも表現て、言葉でできるとは限らないのですよね。
私は表現を言葉に頼る傾向があるけれど、娘はそれを絵で、息子はそれをプログラムで表現するらしいのです。

言葉(に限らず、形ある物)で表現するって、どうしても制限されてしまうところがあって、日々もだえていますけれど、それでもなんとかこの気持ちにピッタリな言葉があるような気がして、こんなふうに書き続けてしまうのでした。
Commented by linket at 2007-10-30 09:44
◆okimuff様
コメありがとうございます。
>こうして書いていても、うまく伝わるかどうかは自信ないですが、コメントせずに入られませんでした。失礼があったらごめんなさい。

失礼だなんて、そんなことはないですよ〜。
最初、ブログを始めたときは、気軽にコメントがつけられることに、すごい新しい世界をみた気分だったのです。
コメント下さる方も、厳しい意見や、反対意見が飛び交って、ディスカッションの様相が気持ちよかった。
でも、最近は、変なコメを警戒してか、みんな保守的で、書く方もそれを意識してなんとなく当たり障りのないコメが多いというか、それはそれで仲良しさんで楽しいのだけれど、広がりがないような気がするのです。
だから、私は私の考えを書くことしかできないけれど、それを読んだ人がそれぞれの考えを深めて行く過程を書いてくださるのはとても興味深いです。
正解が欲しいわけではないのです。

思いがけず、いろいろなコメいただいて嬉しかったです。
これからも、遠慮なくどうぞ!
by linket | 2007-10-26 08:07 | ●無駄人間になってやる | Trackback | Comments(10)

この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため


by hami