Frosty Night(逝くなら霜夜に!)

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この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため

私はいじめっ子でした

<教育再生会議>いじめ対策の「出席停止」素案明記 論議に

c0007384_9535078.jpgイジメについて、書こうか書くまいか、ずっともやもや考えていた。
イジメと言ってもいろいろなケースがあるので、『これが原因でこれが解決策です』なんてひとことで言えることではないので、あくまでも自分の体験だけを書こうと思う。

私はいじめっ子だった。

反撃を受けてクラス中からシカトされたことも経験しているが、やっぱりいじめた方が圧倒的に多い。
自分でいうのもなんだが、小・中学校では成績はいい方で、先生の信頼も厚く、学級委員などもやっていた。
本を読むのが好きで、苦手なことにも頑張って取り組み、できるだけ友達と仲良くし、おかしいと思えば大人にも食ってかかるような、正義感あふれる正しい子供だったのだ。

そんな私が、なんで人をいじめたのか?

いじめたくなる奴が『正しくなくて』ムカついたからだ。
そして正しくないのに、愛されている(家族に存在を認められ大事にされている)ことが羨ましくて、妬ましくて、許せなかったからだ。

『成績がいいから先生から認められる』
『家の手伝いをよくするから親に受け入れられる』
『挨拶がきちんとできるから近所の人からほめられる』
『協調性があるから友達の仲間に入れてもらえる』

そういう正しい人であることを求められ、それに要領よく応えることで、私は存在を許されていると思っていた。
なのにだ、まわりを見渡せば、私のように要領のいい奴ばかりではない。
勉強ができなくて、なにをするのもどんくさく、はっきりしなくて泣き虫で、仲間と同じことができない奴は、私にとって虐げて当然の人間に思えた。
もちろん、こういう分析的なことは、今だから言えることで、子供のときは、とにかくただムカついたからいじめた。

相手がどう思うかなんて、考えてなかった。
『お前が正しくないからいじめられるのだ』という論理だからだ。

 イジメは悪いことだからやめましょう!

と、いう論理は、いじめている本人には届かないと思う。
本当に悪いと思ってたら、子供は素直だからやらないよ。
悪いと思っていないのだ。
逆に、悪い奴を天に代わって成敗してくれる、ぐらいの気持ちなのだ。
だって、子供を取り巻く社会全体が要領がよくて都合のいい人間を求めていて、大人社会の中でもそれにそぐわない人間は排除して当たり前だ、という世の中なんだもの。
私はそれを真似していただけだ。
言っておくが、私は自分の過去のおろかな行為の言い逃れをしたいわけではないし、親の育て方が悪かったからだなどというお手軽な犯人探しをしたいわけではない。
私の体験を通して、こういう価値観を子供に植え付けると、結果としてこうなりますよ、というケースを提示したまでだ。

いま、自分が親という立場にあって、自分の子供がいじめられる側になることよりも、自分の子供がいじめる側になる方がしんどいな。
自分の子供がいじめられたら、私は全力で子供を守る。

「あなたは悪くない。
いじめた相手は根性が捻じ曲がっていて、かわいそうなやつだから、相手にするな。
辛いなら、学校にいかなくてもいい。
転校したっていい。
残念なことに、私たち大人がつくった社会はこんなろくでもないことになってしまったけれど、それでもその中で生きていくしかない。
理想のパラダイスなんかありゃしないんだから、いじめた相手を責めるよりも、自分がこのイカレた社会でなんとか生きていく術を、死ぬ気で考えろ。
大丈夫だ。
世界中からシカトされても、家族だけは絶対に味方だから安心しろ。」
といって、抱きしめてあげられる。

だけど、もしも自分の子供が人をいじめているとしたら、それは親として私がやってきたことがどこかズレていたということだ。
「愛しているよ」と言ってきたことが、本当には伝わっておらず、自分は大事にされていない、と子供が感じてるということだ。
親として、怠慢だったんじゃねえの? って突きつけられるということだ。

人とかかわって行くことに、これで満点なんてゴールはない。
面倒くさくても、しんどくても、かかわり続けていくことしか救いはない。
救いはゴールではないけれど、生きていく力にはなるから、今日も迷いつつ、私は人とかかわっていく。
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by linket | 2006-12-08 14:22 | ●頑張れ若造!

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by hami