Frosty Night(逝くなら霜夜に!)

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この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため

手放すことが自由への道

c0007384_1331566.jpg人生で、一番気合いを入れて読み、何度も何度も読み返している本・・・つまり私のバイブルとも言える本・・・は、『チベットの生と死の書』(ソギャル・リンポチェ著:講談社)である。

親戚に僧侶がいた関係で実家には仏教の本が結構あったので読んでいたし、子ども達がキリスト教系の幼稚園だったので聖書も読んだ。
そのほかにもニューエイジ系とか、スピリチュアル系とか、自己啓発とか、とにかく悩み苦しむ自分を救ってくれそうな本は、手当たり次第に読んだのだ。

そのどれもが、そこそこもっともなことを言って私を惹きつけ、そのどれもが『でも私だけを絶対的に信じないなら救われることはないよ』と、私を突き放した。

イヤなんだよ。
なにか一つに従属するの。
世の中は善いも悪いもゴチャゴチャで、でも私はそのゴチャゴチャな世の中が大好きなんだ。
善い人だけの世界なんて絶対つまんなくって飽きちゃうし、だいたい『善い』だけの人なんているわけがない。
ある人からみたら『善き人』であっても、違う人からみたら『偽善者』になる。
人や社会の都合に合わせて善いも悪いも変わるのに、
『これが正しい生き方です。これしか真実はありません』
なんて言う言葉を、鵜呑みにするなんてできないよ。

最終的な選択は、自分の感覚を信じないと私はダメなんだ。
そうでないと、そのときはなんとなく丸く治まったように見えても、先々、絶対にうまいこと行かなくなる。
それで表面的に失敗しようが、わがままだと言われようが、誰かを傷つけようが(本当の意味で誰かが傷つくことはないんだけど)、私は誰かのいいなりには絶対になりたくない。
もちろん、人の話に耳を傾ける謙虚さはいつでも忘れないようにした上でのことだけれど。

この本は、仏教的な教えを基本としていながら、『よりよい死を迎えるためにいかに生きるか』の実践的な方法が様々な切り口から丁寧に提示される。
それでいて、『必ずこの形式でなければならない』という偏狭さがない。
「こうやるといいんだけど、環境や考え方で別のやり方の方がやりやすければそっちを試してごらん。」
という懐の深さが、たった一つのものに狂信してたまるかと疑心暗鬼になる私を安心させてくれる。
629頁にも及ぶ膨大なノウハウの中から、私が実践していることはほんのわずかなことでしかないが、
「それでもいいよ、できることからやってごらん。あきらめないでいれば、きっと自分自身の変容はやってくるよ」
というおおらかな語り口は、ゆるぎのない灯台の灯火でありながら、決して私の人生の選択を縛らない。

行き詰まった時には、この本をパッと開く。
今日私が引き当てた頁には

『手放すことが自由への道』

と、書かれていた。
身に染みる。
一番自分が欲しいものを手放さなければ、私は自由になれない。
そして、それをしなければ失うのだ。
『失いたくなければ、手放さないことだ』と、信じてきた私にとって、手放すことはとても怖いことだ。
でも手放さなければ失うだろうことも、経験値から導けばすでに察しはつく。

手放せるだろうか?
こんなにも執着して手に入れたいと渇望してきたことを、手放すことなどできるだろうか?
でも、できるようになったら楽だろうなというわずかな安堵と、手放した方がうまくいくんだよというかすかな希望が、明日の私を変えていってくれる気はしている。

不安という薄紙を一枚一枚はぐために、頁を一枚一枚めくる。
ほんの少しでも、明日の自分の方がましでありますように。
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by linket | 2006-10-08 13:33 | ●メメントモリ(死に支度)

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by hami