未来は決まっていない。
自分の意思が未来を創るんだ。
と、強く信じていたので、占いで未来がどうなるかを見ても意味がないと思ってたんですね。
とはいえ、「願いは絶対叶うんだよ!!」的なことはなに一つなく、いや、むしろ、願ったところで叶うわけがないと諦めていたことのほうが多いかもしれない。
自分で書いてて矛盾してるとも思うんだけど、「自分の意思が未来を創る」と信じている一方で、「私が願うことは叶うはずがない」と諦めて、傷つかないようにしていた節があるな、と最近気が付いた次第です。
まあ、「私が願うことは叶うはずがない」という意思で作られた未来が成功物語であるはずはないので、ある意味で、私は自分の未来を自分の意思で創造していたといえるのかもしれませんが。
前回の記事で書いた通り、タロットの勉強を始めたわけですが、タロットと言うのは絶対的未来を予言するようなものではなく、今の状況や気持ちでこのままいくと、こういう未来になる可能性が高いよ、と教えてくれるツールなのだということを知りました。
タロットが垣間見せてくれた(可能性の高い)未来を信じて歩むことで思考が現実となり、「あのときのタロット占いが当たったよ」となるわけです。
いいも悪いも。
そして、タロットカードは車のナビのようなもの。
目的地を設定して、ナビのスイッチを入れたら、この道でいいんだっけ?とか、渋滞にはまらないかな? なんてことはナビ任せにし、運転に集中していれば、スムーズに目的地に着くことができるらしいのですよ。
それなら!!
もっと早くタロットと巡り会っていれば、あんな苦労やこんな悲しみや苦しみを味わうことなく生きてこれたじゃないか!!
と一瞬、自分のやってきたことの徒労感に打ちのめされそうになったのですが、いや、そんなことはないのです。
私はなにより経験をしたかったのです。
ナビ付の車で目的地にスムーズに行くことよりも、徒歩で、雨に濡れ、日照りに倒れ、川を渡り、崖から滑り落ち、道端の草花に癒されたり、夜の暗さに怯えながらでなければ見られない満点の星に心が震えたりしながら、ここまで旅を続けてきたのです。
連れ立って歩いていた友と道が分かれたり、同伴者の重い荷を分かち合ってそれが重すぎてうっかり死にそうになったり、でも、生き延びてきたのです。
それはなんと豊かな人生であったか。
たとえ今日死ぬとしても、私は『ああ、私はよく生きた。心残りはいろいろあれど、後悔なし!!』
と、胸を張って言えるような気がします。
だからね。
どんな人生もYES!! なんだ!!って思います。
あー、でもこれからはナビ付の車を運転していきます。
いままでと違うスピードで、また新しい体験をしてみたいからね