人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Frosty Night(逝くなら霜夜に!)

linket.exblog.jp

この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため

お母さん、笑ってよ。

一ヶ月ほど前、74歳になる母と電話していた時のことだ。
やたらと愚痴っぽく、なにを言っても私の言葉尻をとらえて文句ばっかり言うのでうざったくなり、話の流れから
「小さい頃、怒られないかどうかお母さんの顔色うかがってばっかりで、イヤだったな。」
と少し拗ねて言ったら、激情した母に、
「忙しかったんだもの! 子育てなんかやってるヒマなんかありゃしなかった!」
と、吐き捨てられた。
母は『忙しくて子どもに我慢ばかりさせてかわいそうだった』と思うよりも、『忙しい私を誰も助けてくれなかった』と今でも思っているのだと、妙に腑に落ちて悲しかった。
母の孤独の淵は絶望的に暗く、歳をとるごとにその淵に引きずり込まれていく母が悲しくてたまらなかったのだ。

特別老人養護施設で働く友人から『人は生きてきたように老いたり、呆けたりしていく』という話を聞いたことがある。
楽しく生きてきた人は、呆けても愛嬌があって穏やかだけれど、我慢してきた人が呆けると、疑り深く怒りっぽくなるのだと言う。
母が呆けたら、きっと仁王のようになるのではないかと思って、呆ける前になんとか少しは軌道修正をしたいものだと願う娘であった。
もっとも、鬱をやってからすっかり記憶力や気力の落ちた私なんかより、母は元気でパワー溢れるババアなので、そう心配はないかもしれないが。

昨日電話したときには、車の運転の話になった。
母は今でも毎日車の運転をする。
心配性の長姉などは、年老いた母に車の運転をやめてもらいたいようだが、母から運転を取り上げたら、それこそ呆けかねない。
孫を学校に送ったり、買い物につきあったり、文句を言いながらも孫に当てにされるのが嬉しいらしい。
「よかったよね。お母さんが教習所に行くのを、泣きながら我慢した私の苦労の甲斐もあったってもんだね。」
と、ふざけて言ったら、
「そうだね。」
と、母が笑った。

母が運転免許を採ったのは、私が幼稚園に行く前だった。
母に置いて行かれるのを嫌がって、スーパーカブ(50ccのバイク)の後ろにぶら下がって泣き叫ぶ私を祖父母に預け、母は教習所に通っていたのだ。
それでもあまりに私が頑固で祖父母も手を焼いたらしく、何度か一緒に教習所に連れて行ってもらったことがある。
「お母さんが教習路をグルって回ってくると手を振っていたの覚えているよ。」
と私は言った。
母はそんな私に、笑って手を振り返してくれた。
隣に乗っていた教官が、苦笑しながら母をたしなめて、母が小さくすいませんと頭を下げる。
そんな一コマを私はよく覚えている。
35年も前の、田舎の教習所だからこそ許された、母の笑顔だった。

ものごとには、いいことと嫌なことがゴチャゴチャに張り付いている。
毎日毎日、母が出かけるたびに泣き叫んで、置いて行かれることに抗議した私なのに、たった数回の、車を運転する母に手を振った思い出の方が印象強く、その一連の出来事を肯定的なできごとへと変換してしまう。
運転免許を採ったら、夫に頼まなくても一人でどこにでも行ける。
それは、なんでも自分でやらないと気がすまない母にとって、とても大きな希望だったのだろう。
だから母は、私がどんなに泣き叫ぼうが教習所に通い続け、車に乗っているときは、あんなに楽しそうで、一周回ってくるのをジッと待っている娘の私に、笑って手を振る余裕があったのだと思う。

お母さんの残りの人生にも、希望がありますように。
だれもあなたをいいように使って楽しているわけないし、だれもあなたを犠牲にして平気でいるわけでもないよ。
あなたが、自分の希望を見いだして、ひたむきにそれに打ち込み、笑顔を見せることがこの先にもありますように。
そんな風に生きられるなら、長生きするのもまんざらじゃないと、私たちが思えるような老後を送ってくださいね。
by linket | 2005-10-15 20:11 | ●母と仲良くしたいけど

この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため


by hami