Frosty Night(逝くなら霜夜に!)

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この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため

ある日ガサッと芽を出すように

この間、ある人に「性格悪い女」とまじめに言われた。
仲のいい友人(この世に敵なしという感じの女なのだが)からは「絶対に喧嘩したくない相手」と評される。
最近はかなり温厚になったが、昔は本当によく怒っていた。
男を殴ったこともある。
とっくみあいの喧嘩をしなかったのは、体力的に不利なのがわかっていたからだ。
五年ほど前、勤めていた会社で買ったデジタルコピーに不具合が出たときに営業の態度が悪かったのでごねたら、営業所長以下4〜5人の男が雁首揃えて形ばかりのお詫びにきたことでスイッチが入り、営業所長を泣かせてしまったこともある(年下の女が正当論ぶちまけたくらいで泣く方もどうかと思うが)。
このときはあまりに怒りすぎたので、相当疲れた。
『憤死』という言葉があるが、本当にうっかりしたら怒り死んでいたかもしれない。

人はなぜ怒るのか?
自分が快適ではないからだ。
誰かや何かが自分の安心や快適を奪うので不安になるのだ。
不安を解消するためには、誰かからエネルギーを奪うのが手っ取り早い。
だから親は身近にいる弱者である子どもを怒るのだ。
「あんたのこんなところが悪いから、私は機嫌が悪くなった」といって、一見無尽蔵に見える子どものエネルギーを巧妙に奪い取る。
もちろん、大人として子どもの間違いを指摘しなければならないこともあるだろう。
でもそれに感情的であることは必要ないはずだ。
事実をきちんと伝えればいいだけなのだから。
「怒鳴らないとわからない。叩かないと身に付かない。」
なんていうのは、忙しい大人の怠慢でしかないと私は思う。

子どもはそんなにバカじゃない。
そしてそんなにタフでもない。

エネルギーを奪われてばかりいた子どもは、今度は自分の不足分をどこかで補わなければならない。

鬱っぽくなったとき、私は自分を律する理性のコントロールができなくなった。
不安で不安で仕方がなかった。
でも誰かからエネルギーを奪う気力ももはや尽きていた。
小さくなって、できるだけ人と関わらずにじっとうずくまっていた。
もう二度と元の明るくて元気でおこりっぽく情にもろい自分には戻れまいと思った。
ときおりぶっ壊れた扉の隙間から、昔しまい込んでいた感情が吹き出してくる。
暴力的な感情は、いままで信じていた自分という概念を容赦なくぶっ壊しにかかる。
その先にあるものは、絶望だと思って怖かった。
必死になって自分を保とうとしたが、それまでの私は結局私の怖れていた絶望に向かって解体されてしまうこととなる。

絶望の先にあったのは、希望だった。
腐って社会から見捨てられた果実の中から、ある日ガサッと芽を出すように、私の中から新しい自分が育った。
私はもう不安じゃないし、誰かのエネルギーを奪わなくてもいい。
それはなんという自由だろうか!
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by linket | 2005-07-17 09:54 | ●鬱は自立の第一歩 | Trackback | Comments(0)

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by hami