Frosty Night(逝くなら霜夜に!)

linket.exblog.jp

この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため

一生我慢してきた人生ならもう幸せになろうよ(母への嘆願)

昨日兄からお中元が届いたと電話があり、ついでに久しぶりに少し話した。
その折、兄の口から
「親父の葬式のとき、お袋があんなに泣くとは思わなかったな。」
という言葉が出た。
「いつも喧嘩ばっかりしてたのに、やっぱり愛していたのかな、って思った。」
「あっ、それは私も思ったよ。やっぱり夫婦ってそういうものなのかなぁって。」
高校生だったあのときは、そう思った。母は結局は父を愛していたのだろうと。
でも母の感情は、そんな簡単なものではなかったのではないかと、今は思う。
兄は、父と母が喧嘩ばかりしていたと証言したが、私にはその記憶がない。
七歳の歳の違いを感じる。
母はこの七年の間に、二十歳年上の夫に気持ちを訴え、自分を伝えようとすることをあきらめたのだろう。

母はとにかく黙々とよく働いた。
家は酪農家だったのだが、父が農協に勤めていたため、母は家事と育児をこなしたうえで、普通なら夫がする仕事の全部をも担わなければならなかった。
働いて、働いて、具合が悪くても働いて、誰にも助けを求めなかった。
子どもながらに、なんとか母を助けたいと願っていたが、母はそれを拒否し、拒否するくせに、自分ばかりが苦労していると全身で怒っていた。
怒ることをエネルギーにして、生きているかのようだった。
もちろん頑張って考えれば、笑っていた母や、優しい母の思い出もあるのだが、未だに母のことを思うと、不機嫌に黙り込むか、ヒステリックに怒鳴り散らす場面ばかりが浮かんでしまう。

去年のお盆に帰省した折、私は義姉からこんな話を聞いた。
「台所でソバをうっていたら、玄関の方で『こんばんわ』って男の人の声がしたんだけど、行ってみたら誰もいなかったんだよ。お盆だから、お義父さんが来たのかなって、子ども達と言ってたんだ。」
「きっとそうだよ。お父さんはソバが大好物だったからね。」
ファザコンの私など、父の霊がソバに惹かれて家に戻って来たなんて、もう涙ぐんでしまう話である。
で、この話を早速母にしたところ、
「そんなことあるわけねえだんべ!(群馬弁)」
と母は言い捨てた。
仮にだ、相手に恨みがあったとしても、父が死んでもう二十年以上が経ち、一つや二つの恨みも時の流れに解けゆき、穏やかに思い出になるもんではないのか?
もしも、かけらでも愛していたなら、
「そうかもしれないねぇ」
と、しみじみ故人を想い出す場面だと思うのだが。

母はいまでも怒っているのだ。
自分や家族よりも、仕事や人づきあいを優先した父に、猛烈に怒っているのだ。
このまま死なせたら、娘としては相当後味が悪いので、なんとか母に幸せな余生を送ってもらいたいと願っているが、年寄りの長年の考え方の癖を変えるのは、そう簡単ではない。

「どうせ一生我慢してきた人生なんだから!」
と、よく母は言う。
ずっと我慢してきたからこそ、これからは少しは穏やかに暮らして欲しい。
頼むから、祟り神にはならないで。
あなたの人生は賞賛に値する。
四人の子どもも立派に成人し、それぞれ所帯をもって人並みに暮らし、親に無心をするようなこともない。
父はあなたにかなりの我慢を強いただけでサッサと死んでしまったかもしれないが、一応あなたが暮らして行くに困らないだけのものは残したはずだ。
あなたは社交的で、人の相談によくのり、正直で、働き者で、人望も厚い。
もういいじゃないか。十分苦しんだじゃないか。
もう怒りつづける必要はないじゃないか。
一生懸命生きたのだから、自分の人生を否定しないで欲しい。

いまさらなにも変わりはしないと、あなたがあきらめても、私はあきらめない。
まあ、せいぜいしつこい娘を生んだしまったことを後悔するんだね。
[PR]
by linket | 2005-07-16 22:40 | ●母と仲良くしたいけど

この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため


by hami