Frosty Night(逝くなら霜夜に!)

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この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため

墓なんかいらないよ

私は今年で40歳。
平均寿命の半分で自分の死や葬送、墓のことを考えるのは早すぎるのかもしれないけれど、いつ訪れるかわからない自分の死に際して、それを商業化されたるのは嫌だ! という思いが強い。
とにかく私は慎ましく生きてきたのだ。
自分に必要なものさえ手に入ればそれでいい。
墓はいらないんだよ。
高いし、狭いし、環境によくないし、なにより美しくないし。

昨年父の二十三回忌で兄弟が集まった際、姉に「私は墓は作らないつもりなんだ」と初めて話題にしてみたのだが、「そんなことできるわけないじゃない!」と一蹴された。
田舎で育ち、同じ町内に嫁に行った姉には、墓に入る以外の選択があることなど考えもしていないのだろう。
私も姉と同じ立場だったら、近所の知り合いがたくさん眠る共同墓地に自分が埋葬されることになんの疑いも持たなかっただろうが、私は仕事先で知り合った夫(次男)と結婚し、埼玉県の公団に住まう身だ。
この地に深い思い出があるわけではなく、さりとてどこかに憧れの地があるわけでもなく、たまたまここで子どもを生み育て、子ども達はやがてここから巣立っていく。
たとえば子ども達が遠い場所で暮らすようになったときに、私の墓を思い出すよりも、私と生きて関わった思い出そのものを思い出して欲しい。
いや、「思い出して欲しい」というか嫌でも「思い出してしまう」くらい、生きているうちに深く関わってやろうと思うのだ。

私は17歳で父を亡くしたが、22年以上経った今でも、父のことを思い出さない日はない。
まあ、忘れるに忘れられないインパクトのある人だったわけだが、年に一度行くか行かないかの墓参りよりも、私にとっては自分の生活のリズムの中に息づいている父を思い出すひとときの方が、はるかに『供養』と呼ぶにふさわしい行為として根付いている。

父を思い出すとき、私は自分の右上あたりに父の気配を感じる。
それは勝手に私が作り上げた想像の産物かもしれないが、こうして父を思い出しながらこれを書いている今も、やわらかな父の笑顔をエネルギー化したようなあたたかさが私に降りそそいでいる。

私が死んだ後、私と生きて関わった人たちもこんなふうに私を思い出してくれるといいな。
バカバカしいほど高い墓石や、信じてもいない宗教の決まり事なんかに縛られて義務的に思い出してもらっても、全然嬉しくないんだよね。
だからさ、なんどもいうけど墓石はいらないよ。
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by linket | 2005-04-16 16:21 | ●メメントモリ(死に支度)

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by hami