Frosty Night(逝くなら霜夜に!)

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この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため

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小石川植物園には、もう何年も通っているのだけれど、奥のほうでひっそりと水芭蕉が咲いていることに、今年初めて気づいたよ!!
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by linket | 2012-04-08 11:03 | ●好きが激しいだけ
c0007384_20323418.jpg新しいカテゴリとして、『好きが激しいだけ』を追加いたしました。
人から「ホントに、好き嫌いが激しいね」と言われることが多いです。
確かに昔はそうだったのですが、歳ともに、好きでないものに怒ったり、嫌ったりするエネルギー的余裕がなくなりまして、結果として、私の中には好きなものしかないです。
好きでないものには興味なし。
好き嫌いが激しいのではなくて、『好きが激しい』だけなんですけど。

それにしたって、日本中、桜の名所はあちこちあるのに、どうして私はここだけが好きなんだろう?
と、自問しながら、今年も行った小石川植物園。
今年は、開花してから寒い日が続いたので、もう何日か後の方が見ごろだったかな。

というわけで、来週隙を見つけて、もう一回行くかも。

朝日新聞の日曜版に載っている安野モヨコさんの『オチビサン』という漫画に、小石川植物園がよく出てくる。
いや、小石川植物園だとは書いてないのだけど、「あっ、安野さん、小石川植物園に行ったんだな」と、マニアにはわかってしまうのだった。


c0007384_20411914.jpgおまけ。
花見用紅茶を買いました。
ロイヤルミルクティー『薫る桜』。
まずいの覚悟で買ったけど、まずくはなかった。
なんだっけ? この風味。
思い出せなくて、悶えた。
結局思い出せなくて、諦めた。
だれかわかったら、教えて!!
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by linket | 2010-04-03 20:48 | ●好きが激しいだけ
c0007384_13381615.jpg久しぶりの鬱ネタ。
『鬱は自立の第一歩』というカテゴリーで、私の鬱体験を中心に書いてきた。
我ながら、最近はかなり自立できてきたかなぁと思っていたのだが、今日、友人から

『自立とは人と関わって生きることができることだ』

という言葉を教えてもらった。

うむむむ・・・・
確かに、そうかもしれない。
人に頼らず、自分でなんでもできることが自立だと思ってきたが、所詮、自分だけでなんでもなんてできないのだ。
迷惑を掛けないように気をつけても、やっぱりどこかで誰かの手を煩わせたり、助けてもらったりしなければ生きていけない。
そのときに、「自分でやるからほっといてよ」と意固地になるのではなく、ゆるやかに他人の助けを受けられる柔軟さこそ、本当の意味で自立している人間だと言えるのだろう。

自分ができないことは誰かに助けてもらう。
そして自分ができることで誰かを助ける。

自分でできることをしないで誰かに依存してしまう生き方ではなくて、
自分ができることを誰かに奪われてしまう受身の生き方でもなくて、
私はここまでができます、でもここからはできないので助けてください、
と、はっきり表明できること。

ああ、書いててうんざりする。
ちっともできていない。

私がしている仕事は、基本、社内の便利屋さん的なことなので、社外交渉というのはほとんどない。
ほとんどないが、たまにはある。
で、今日がそのたまに、、、の日で、発注した商品の生産について不備があり、なんとかその妥協案を探って、問題を解決しなければならない。。。。のだが、その折衝がしんどい。
どこを着地点に持っていくかがはっきりしていないような場合、特にしんどい。
相手に要求するのはしんどいので、相手の要求のままに受けてしまおうとする自分がいる。
個人のことならそれで自分が我慢してしまえばいいのだが、仕事となるとそうもいかず、頑張って要求するのだが、なにぶん要求しなれていないので、話が険悪になる。
険悪になった案件を、引き続き継続していくのはしんどいなぁぁぁ。

職場では、私が鬱だったことも、そんなわけで交渉が苦手なこともカミングアウトしてあるので、
「できないことは無理してやらなくていいよ(というか、できないことをやられると逆に困るからやるな)」
と、理解をいただいているのだが、なんでもかんでも「できない」って言っていいわけないよな、と妙な気遣いをして、ドツボにはまったりするのだ。

c0007384_2285987.jpgこのまま行くとドツボにはまること決定なので、その前の隙間に、今日は一人で花見に行った。
私の大好きな小石川植物園。

花見は一人で行くことが圧倒的に多い。
自分が大好きなことに、他人を介在させたくないのでね。
というか、結局一人だと現実逃避しやすいんだよね。
そんなわけで、まだ自立にはほど遠い自分なのであった。
とほほほん・・・・
明日は、頑張って取引先に電話します。
せめてひととき、きれいな桜で心をいっぱいにしておこう。
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by linket | 2008-03-27 13:38 | ●鬱は自立の第一歩
<開花>世界一のっぽの花、4年ぶりに 東大付属植物園

c0007384_15121245.jpg東大付属植物園(通称:小石川植物園)が、私は大好きだ。
最近はあんまり行かなくなっていたけど、前はよく仕事を抜け出してまで出かけていた。
小石川植物園を舞台に、小説一本書き上げたくらいに好きだ。

で、その小石川植物園で、四年ぶりに珍しい花が開花したというので、ついフラフラと見に行ってしまった。
こんなものわざわざ見に行くなんて、私も相当の変人だな、と苦笑。
友人誘ったら、行く!というので、一緒に行く(思えば、友人も変人だな)。

サトイモ科コンニャク属の多年草「アモルフォファルス・ギガス」という花で、高さは3m以上で世界一!
とはいえ、だから何?な花なのだが。。。。

一般公開は今週末のみの『限定』効果のせいか、結構、変人(というか、たいして興味もなさそうなのに、どこにでも出没するおじさんとおばさんは人なのか?)が繰り出していた。
うへーーーっ。
いつもは(梅とさくらの季節以外)、全然人なんかいないのに。
ゾロゾロと整列して温室に入っていく。
で、見上げて「ホホーーーッ!」と写真撮って、出る。

はい、終わり。

開花期間は2〜3日と短く、一晩だけ訪花昆虫を惹きつけるために、臭い匂いを発するそうだが、そう言われれば臭いような・・・(単に、付近の下水とかが臭かったかのかもしれないが不明)。

右に写っている緑の葉っぱは、花が咲いていない若いギガス。
最近、ブログにアップする花の写真がネタ切れになっていたので、小石川植物園行ったら撮ろうと思ったのに、この時期は本当にお花が少なかったよ。

今日は残暑がそこそこ厳しかったので、簡単に一回りしてすぐに帰ってきてしまったけれど、ここには大きな樹がたくさんあってうれしい。
できるなら、小石川植物園周辺のマンションに住みたい。
そして借景でいいので、毎日緑を眺めて暮らすのだ。
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by linket | 2007-09-09 15:13 | ●浮き世ネタ

祈りの場・小さな清き泉

c0007384_16335638.jpgこの春、友達が家を建てた。
「祈りの場が欲しかった」という友達の言葉に深く感銘する。
別に、彼女は特定の宗教を持っているわけではない。
彼女の言う『祈り』とは、祈祷する(神仏にその加護・恵みを求めてお願いする)ことではなくて、現実を生きていく中でどうしても自分の中にたまってしまうオリみたいなものを、きれいにすることなのだ。
だから『祈りの場』と言うのは、それをするために自分が静かにできる場所。
森の奥深くにある、小さな小さな清き泉のような場所だ。
誰にも見つからず、つまりは誰の干渉も影響も受けずに、安心できるとっておきの秘密基地みたいなもの。
そういう場所が欲しかったのだそうだ。

私にとっての祈りの場所は、育った浅間高原の大自然だった。

  雄大な浅間山
  蒼い空
  鮮やかな夕焼け
  流れゆく雲
  降りそそぐ星々

子供の頃、心を許せる人は一人もいなかったけれど、私にはあの大自然があった。
無尽蔵のエネルギーに溢れていて、人の手の及ばない畏れおおいなにかがあって、決して昨日と同じではないのに変わらない確かなもの。
あの力強い静かで美しい祈りの場があったから、私は生きてこられたと思う。
大人になって田舎から離れて暮らしているが、私の中には子供のころに刻み込んだあの大自然の引き出しがある。
最初はなかなか開けられなくて、疲れ果てるとよく小石川植物園に行って、疑似大自然体験をしたものだ。
最近は小石川植物園という鍵がなくても、あの引き出しを開けることができるようになった。
自分が疲れて薄汚れてきたような気がするときは、静かにベランダやお風呂の中で、あの大自然の気っぷのよさを思い出す。
どんなに夜が暗くても朝は来るし、どんなに冬が厳しくても必ず春になる。
その確実さが安心となって、日常生活でザワザワと波立ってしまった私という泉の水面がだんだんと静かになるのだ。

あっ、別に自然がすばらしくて、自然のない都会はダメだって言ってるんじゃないよ。
私にとっては祈りの場が大自然だったから大切だったというだけのことで、人それぞれ、大切なその人にとっての『祈りの場』があるといいなと思う。

たとえば時間を忘れて読書に没頭できる図書館とか、責任がない分甘えさせてくれる祖父母とか、一冊の本、一枚の絵、一杯のお茶・・・とにかく人の目を気にせずに自分でいられる場所・・・そういう安心できる居場所が、どんな人にもありますように。

本当は、家族という小さな砦が祈りの場であって欲しいと思う。
とくに幼い子ども達が育ちゆく環境ではなおさら、そういうきれいな静かな安心できる場所が絶対に絶対に必要だから、小さくても豪華でなくてもいいから、大人はそういう場所を提供する義務があるのだ。
自分の感情的な思いで、子ども達から祈りの場所を取り上げないで欲しい。
そしてすでにそれを奪われてしまった子ども達にも、絶望して欲しくない。
バカな大人がそれを与えてくれなかったなら、自分で祈りの場を作ればいいんだから。
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by linket | 2006-10-30 16:19 | ●無駄人間になってやる

この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため


by hami