Frosty Night(逝くなら霜夜に!)

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この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため

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c0007384_22555674.jpgmixiで、『アンを探して』コミュに入っているのだけど、そこでこんな速報を発見!!

邦人女性監督がダブル受賞 シンガポールの映画祭←このスキンだとリンク先の色が変わらないからわかりにくいと思うけど、ニュースにリンクしてあるから、クリッククリック!!

「アジアン・フェスティバル・オブ・ファースト・フィルム」という映画祭で、宮平貴子監督の『アンを探して』が、最優秀作品賞と最優秀監督賞を受賞したそうですよ!!

宮平監督、おめでとう!!
なんだか私まで嬉しくて、うまく言葉になりませんが、本当におめでとう!!
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by linket | 2009-12-05 22:54 | ●浮き世ネタ
c0007384_947523.jpg新聞見てたら、『アンを探して』が載っていたので、激写!!

takakozuno様、本当におめでとう053.gif

ちなみに、この映画の中で、日本在住の静香さんとカナダ在住のマリが、ネットで親交を深めるという設定は、takakozuno様の実体験がモチーフになっているのだとか。
ほんとにね、私もネットやってなければ、takakozuno様と知り合うこともなく、1つの映画の誕生を身近でワクワクドキドキしながら見守るようなこともなかったと思う。

ちょっと話はそれるが、先日、会社で34歳の結婚詐欺師のブログ話になり、
「それにしても、なんでネットに日記なんか書くんですかね? 容疑者の女も、殺された男も。」
と、仕事のメールの返事さえまったく返さない同僚が言い、
「どうなの? なんで書くの?」
と、上司が私に振ってきた。

「えっ? あ、あの私、日記は書いてませんよ。mixiに入ってますけど、お付き合い程度で。。。。
自分のプライベートなこと書いて残すなんてしませんよーーー!!」
と、嘘ついた。

なんで書くのか? と言われると、なんでだろう?
もしも、私がうっかり事件とか犯罪とかに巻き込まれてしまった場合、このブログで書いたことなどが深読みされ、あり得ない解釈をされたりするのだろうな、、などと考えると、気が重くなる。
それでもきっとこれからも、書き続けるだろうな。

だってさ、こうやってブログに記事書くようになって4年半くらいになるけど、嫌な思いしたことよりも、読んでくださっている皆さんのコメントやリンク先の記事などで、励まされたり、考えさせられたり、友達になったり、深呼吸する言葉を始めたり、それがきっかけで新しい人たちとつながったり、いいことの方が断然多くて、逆にネットで嫌な思いをしたことって私はほとんどないんだよね。

ああ、なんか涙出てきた。
みんな、ありがとう!!
愛してるよ053.gif053.gif

なんてことも、悪意を持って読まれると「ばっかじゃないの?」「簡単に愛してると言葉にする人は、反対に愛を渇望している寂しい人なんです」とか、いくらでも悪意な解釈をすることもできると思うし、あと、これを会社の人に読まれたら、それこそ「ギャハハハ!! なにこれ!? 会社にいるときの地味なおばさんと全然違うじゃん!!」と、からかわれかねないのだけど、会社で仕事している私の方がある意味でリアルではなくてバーチャルなんだよ。
リアルとバーチャルが逆転したなんてことではなくてね、会社とか社会っていうのは、それだけ都合のいい自分を求められるってことです。
ネットの世界の自分が『本当の自分』なんて思っちゃいないけど、私はネットがあってよかった派です。
結局、きっかけというのはツールでしかなくて、ネットで結婚詐欺師にひっかかっちゃうようなやつは、リアルでもそういうことに陥りやすいはずで、問題はネットではなく、その人自身の寂しさや依存だと思うから。

おや、話がずいぶんとそれた。

というわけで、映画『アンを探して』いよいよ公開です。
今、10時半だから、takanozuno様、ドキドキしながら舞台あいさつのその時を待っているんだろうな。

お近くの方はぜひ足を運んでくださいませ。

『アンを探して』試写会レビューはこちら
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by linket | 2009-10-31 10:26 | ●浮き世ネタ
c0007384_10392312.jpg深呼吸する言葉ネットワークを始めた
きつかわゆきおさんの最新刊、
『ホントに欲しいものを、言ってみな!』(ON・BOOK)がまもなく発売されます。

橘川さんは、さすらいのドラえもんみたいな人だ。
きっと彼は、四次元ポケットを隠し持っている。
ホントに欲しいものを探してうろうろしていた私に、深呼吸する言葉という未来の道具をくれた。
「ただし、使い方は自分で考えな!」
と、言い残して、ネットの波の彼方に消えたのだ。
それが、一年とちょっと前。

先週末の深呼吸する会議(オフ会)で、久しぶりに橘川さんにお会いして、一足早く、最新刊を購入させていただいた。

オフ会からの帰り道、電車の中で読んでいたら、突然に号泣したいほどのなにかがあふれてきた。
泣きたいとか、感動したとか、その程度の感情的反応ではなくて、日常というコンクリートに埋め込まれてしまっていた魂が、「きつかわゆきおの新呼吸する言葉」というエネルギーに呼応して、コンクリートを突き破って飛び出してきたかのようだった。

ああ、そうだった。
ホントに大事なのはこの感覚なのに、日常生活を送る便利と引き換えに、私は躍動する魂をコンクリート詰めにしていたのだ。
もちろん、この複雑な世界で体を持って生きていくためには、魂を剥き出しにすればいいってもんでもないのだけれど、必要以上の防御壁は、結局、自分を窒息させることになりかねない。

うるうるしながら(電車の中なのでさすがに号泣するのはね・・・)読み終わって、裏表紙の帯に書かれた言葉をみたとき、私は深く納得した。
これは、橘川さんの深呼吸する言葉をまとめた作品でありながら、私が欲しい新しい道具でもあったのだ。

以下、青字は本書の帯から抜粋。

 本書は著者のメッセージを理解してもらうためのものではない。
 言葉は半分は発した人のものだけれど、半分は受け取ってくれた人のものだ。
 受け取ってくれた読者一人一人が考え、感じてくれて見えてきたものに
 最大の意味があると思っている。
 本書は「回答」ではなく「質問」なのである。


自分に、どう生きたいのか突きつける。
便利に当たり障りなく、日々の生活に忙殺されて、ある意味でつつがなく生きていくこともできるが、それは私の生きたい人生ではない。

まだ、大丈夫だ、と思う。

問い続ける人がいて、それに呼応する私がいる。
そして、呼応したのは私だけではないはずだ。
それぞれの壁を突き破って飛び出した躍動する魂たちは、それぞれの世界を変える。
その小さな流れは、大きな流れに合流していくだろう。
そうすれば、大きな世界も変わるのだ。

無血の革命というのは、案外、そんなに難しいことではないのかもしれない。
さすらいのドラえもんは、飄々とした風体を隠れ蓑にした、熱き革命家でもある。
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by linket | 2009-08-24 10:38 | ●深呼吸する言葉合流録
c0007384_23264851.jpg昨日、本ブログによく遊びにきていただいているtakakozuno様こと宮平貴子監督の初監督作品『アンを探して』(公式サイトはこちら)の試写会に行ってきました。

そして今日は、8月6日です。
私は昭和40年の生まれですが、私が生まれるほんの20年前に、日本は戦争をしていた。
宮平監督は、沖縄の出身。
日本で唯一地上戦を体験し、民間人の多くが巻き込まれて亡くなった地。
今日付けの宮平監督のブログの記事に次のようなくだりがある。

 殺されないために殺す、という人員を載せた飛行機が、
 私の故郷の沖縄から飛び立ってると考えたりすると、
 ときどきめちゃくちゃ切なくなる。


宮平監督は私よりも10歳くらい若いけれど、彼女の心の中には語り継がれた戦争と、核を保有する国の軍事基地が今もまだあるという事実があって、それに真摯に向き合おうとする姿勢が映画からも伝わってきた。

かといって、声高に戦争反対!!と言っている映画なわけじゃないですよ。
平和な日常があるからこそ、誰かを好きになったり、誰かと一緒にいることが愛おしかったり、自分の気持ちを伝えたり、それが伝わらなかったり、喧嘩したり、助け合ったり、そういう人とのしての当たり前の営みができるのだということ。。。
そういうことを、この映画は美しいプリンスエドワード島の風景とともに、そっと教えてくれるのです。

主演の穂のかちゃんの素朴さがまたいい!!
プリンスエドワード島にいる祖母のネット友達・マリ(ロザンナ)のところに、ひとりでやってきた杏里(穂のか)。
本当は祖母(吉行和子)と一緒にくるはずだったのだが、祖母はその旅行の直前に、急死してしまったのだ。
17歳の少女がたった一人の肉親である祖母を亡くし、天涯孤独になってしまった。
その悲しみをたたえ鬱鬱とした表情が、どんどん充電されて、輝きを増していく姿にジンとした。

それにしても、芸能人の娘(父親はトンネルズの石橋貴明)にしては、地味だなーーと思っていたのだが、試写会後の出口付近に、一般人とは明らかに違うオーラを放つきれいなお嬢さんがいると思ったら、穂のかさん本人だったので、挙動不審になるくらいビックリした。
この映画を撮ったのは一年前だから、一年で花開くようにきれいオーラを身にまとったということもあるのかもしれないが、あの素朴さが素ではなく演技なら、今後の活躍もとても楽しみな女優さんだなぁ。

ところで、以前からよく言っているが、私は、映画はまず第一に、映像が美しくないとまったく価値なしと思っている。
美しさというのは、そこに美しい風景があれば誰でも見れるように思うが、実はそうでもない。
同じ場所で写真を撮っても、人それぞれにフォーカスするものが違って同じ写真にはならないように、人はそれぞれ自分のフィルターを使って、その場にあるものを見る。

人の中に、その美しさを見ようとする心がなければ、美しい風景も目に入らない。
人の心がそれを美しいと思うから、美しい景色になるのだ。
そして、その美しさを映像として記録できる才能が宮平監督にはある。

いままで、ネットの中のtakakozuno様の言葉から、彼女のものの考え方、問題意識の持ち方に共感してきた。
春に直接お会いする機会があったときには、どこかにドシンとした重みを持ちながらも、素直でおおらかで、きっとどんな人とも仲良くしてしまうであろう人柄の良さというものに触れることができ、ますます彼女のファンになった。
そして、いよいよ彼女の撮る映画を観ることができて、久しぶりに生きていくって、まんざらじゃないなぁという気持ちに浸った夏の夜でした。

宮平監督、ありがとう!!
そして、お忙しそうだから、くれぐれもお体ご自愛くださいませ053.gif
一人でも多くの方がこの映画を観て、それぞれの幸せの大切さを抱きしめてくれるよう、陰ながらお祈りしています。
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by linket | 2009-08-06 10:42 | ●無駄人間になってやる
c0007384_12565683.jpg写真は、深呼吸するネットワークに参加している村松恒平さんの最新刊『達磨』です。
静かで、美しい本です。

うっとりするような表紙に引き込まれるように、静かに美しい本に浸ろうとすると、その隣の部屋で夫が大音響でバラエティ番組を見ている。。。というような現実があるわけで、現実を生きるというのはそういう雑多な中で自分がなにを選択していくか?ということの連続であることを、今日も私、思い知らされております。

いまの日本は、ほんとに五月蠅い。
笑うだけじゃなくて、怒るのも、泣くのも、悲しむのも、五月蠅い方がもてはやされる。
そして、サッサと忘れ去られる。
短絡的すぎて、反応ばかりで、大事なことなんか考える暇もない。

こんな流れの早い日本の中で、こんなに美しいけど地味(すいません)な本が大洪水の濁った水に呑みこまれていくのはもったいないなーーと思う。
せっかく英訳もされていることだし、世界に標準を当てていってほしいと思う。
だって、こういう本は、日本では五月蠅さに呑みこまれてしまうかもしれないけど、日本人じゃないと作れないと思うから。

そんな村松さんが、最近始めたのが『心が大事~生き方を考えるための言葉たち~』というブログ。
心なんて形のないものを、妖しいスピリチュアル系でもなく、小難しい哲学系でもなく、言葉に落とし込んでいくという壮大な課題に、果敢にも挑戦しているブログです。

右脳人間の私が書くことは、あくまでも私が感じていることであって、それを誰かにわかりやすく説明しようなんて面倒くさくてできないわけです。
私だけはわかっているし、わかってくれる人にわかってもらえればそれでよし、な文章です。
例えていうなら、引き出しのなかにスプーンが入っているのを知っているのは私だけ、というようなね。

無意識というのはゴチャゴチャの引き出しの中と同じで、それが分類され、正確な言葉にされることで、初めてスッキリハッキリと引き出しに納まったスプーンとフォークのようになるわけです。
そうしておけば、誰かにスプーンを出してもらうときでも「何番目の引き出しの右側の仕切りの中に入っているよ」と説明ができ、至極便利なのですね。
便利だけどさー、簡単にはできないじゃん。
心のありようなんて、スプーンのように形あるわけじゃないし、余計に。

だけど、村松さんの語る心はわかりやすいです。
わかりにくいことをわかりやすく語る。
プロでも、そういうことができる人って、意外と少ないと思う。
扱いにくい話だけに、反応は少ないかもしれないけれど、くじけずに続けてほしいです。
静かに期待している人はいっぱいいると思うから。

いまどき珍しくトラックバック歓迎だそうなので、そのうち響く記事と巡り合ったら、ぜひトラバもさせていただくつもりでいます(あらかじめ宣言)。
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by linket | 2009-08-04 13:31 | ●深呼吸する言葉合流録
c0007384_10473011.jpg少し前に、本屋さんで見た『奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録』石川 拓治・著(NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」制作班 )という本が気になっていた。

そのリンゴは、腐らないのだという。

糖度が20度以上の甘いリンゴで、二つに切って置いておくと、豊潤な香りを放ちながら、腐ることなく熟すようにしなびていくのだそうだ。
『奇跡のリンゴ』は、それを栽培する青森県の木村秋則さんを紹介する感動の実話ストーリーである。
本屋でパラパラとめくっただけで、感動のツボ押しまくりの手法が使われているのがわかる。
意地悪な書き方をしたが、『奇跡のリンゴ』の奇跡さをなんとか世に知らしめたいという意欲が強すぎて、私には胡散臭くてたまらなかった。
無農薬・無肥料の腐らないリンゴには強く興味を持ったのだが、あらすじだけで満腹です!!

先日、その胃もたれしそうな平積みの本の隣に、この『リンゴが教えてくれたこと』木村秋則著(日本経済新聞出版社)が置かれていた。
こっちの本は、奇跡のリンゴができるまでの体験談が、木村さん自身の言葉で語られている。
絶対不可能と言われたリンゴの無農薬・無肥料栽培を確立するまでの苦難が書かれているのだが、その苦難(現金収入がないための貧乏のどん底や、村八分状態の田舎の人間関係など)が正直に書かれていながら、実に謙虚で、感謝にあふれている。

本当に感謝している人は、自分のやり方を他人に強要したりしないし、自分のやり方を認めてもらうために、他者を引き合いに出してこき下ろしたりもしない。

ただ感謝している。
あらゆるものに感謝している。

言葉にしたら簡単だけど、あらゆるものに感謝することができるなんて、もう人として次元が違う。
その次元が違う人が、同じ地球に住まい、リンゴという農作物を作っている。
私はリンゴは作らないけれど、人として、そういう次元を目指したいと思う。
あまりにもそういう次元で生きている人が少ないから、そんなのこの地球で叶えるのは不可能なのだと信じてしまいそうになるが、幸いにも本という媒体から、そういう人が(私の目の前にはいなくても)同じ地球に生きていることを教えてくれる。

ありがとう、木村さん。
あなたのリンゴを食べることはないかもしれないけれど(食べたくないのではなくて、その希少性と人気故に食べられるはずがないという意味で)、あなたのような人が生きて、自分の思いをこの地球に具現化させたことに感謝と尊敬の意を捧げます。
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by linket | 2009-06-27 10:50 | ●無駄人間になってやる
c0007384_8562460.jpgなんの話かといえば、モンゴメリの不朽の名作、赤毛のアンの話です。
アンは、"an"ではなくて、"anne"でね。
中学校時代に、シリーズ何度も読みましたわ、赤毛のアン。

好きな男子の頭を石板でぶん殴りたかったなーーー。
庭にりんごの花を咲かせたかったなーーー。
膨らんだ袖のワンピースを着たかったなーーー。
すみれの谷で、親友の誓いを立てたかったなーーー。
そして、リラって名前の娘を持ちたかったなーーー。

冷静に考えてみると、ぶん殴りたいほど好きな男子はいなかったし(ムカついてぶん殴った奴はいるけど)、庭には梨も桃もスモモもあったのにリンゴの木はなかったし、膨らんだ袖のワンピースはどう考えても似合わないガキンチョだったし、親友の誓いなんて面倒だから辞めておいた方が無難だったし、リラって漢字にしたら『璃羅』『李羅』『莉羅』?いずれにしてもヤンキーみたいだし、アホな少女の夢はなにひとつ叶えられなくて正解だったのですがね。

それはさておき、「赤毛のアン出版100周年記念映画 」として、こちらのブログによく来訪いただいているtakakoさんが、初監督した映画『アンを探して』(公式ブログはこちら)が今年の秋公開されます。
c0007384_10131743.jpg
その準備のために来日(普段はカナダ在住なのです)されていたtakakoさんと、おととい、東京でお会いすることができました。

このブログを始めた当初にコメントをいただき、その後、お互いのブログで忌憚のないコメをやりとりしていたので、なんとなく初対面という気がせず、時間の経つのも忘れておしゃべり。
ちなみに、冒頭の写真は一緒に桜見物をした目黒川の桜並木です。
満開の時期は過ぎていたけれど、桜吹雪となった花弁が、川面をピンクに染めて『桜川』となっておりました。
「いっぺん飛び込んでみたいーーー!」
「いや、飛びこんだらきっと口とか鼻とか、花びら入りまくって大変かも。」
「なんか、あの上を歩けそう!」
などと、久しぶりに女子(ちょっとズレた女子達だが)のエンドレストーク満喫しましたわ。

このブログを始めた当初は、まだ私、かなりエネルギーレベルが低くて、なんかもう、このまま人生は面白いこともないままの下り坂が続き、大げさに言えば「忍耐の限界が先か、死が先か」というような暗い心持ちだったように思います(今、思えばだけど)。
そんなとき、カナダ在住の若くて才能があって自分の好きな仕事をイキイキとやっているtakakoさんのコメは、私にとっては別世界からのまばゆい光のようなもので、
「きれいだなーー。かっこいいなーー。でも、私とは住む世界が違う人だよね」
と、(卑屈になりこそしなかったものの)会って話すことができるなんて、かけらも考えたりしなかったのです。

それが今回、会おうと思ってちょっと足を踏み出せば、実際に会って話すなんてことができるのだ!ってことが実現できて、相当嬉しかったです。
どこでなにをやっているか、ということではなくて、好きだからつながれる世の中のツールがあるということに、驚きと、心からの感謝をささげたい気持ちです。
それから改めて、自分が今いる場所で、心を尽くしていくことの大事さといとおしさを確認しました。
当たり前だけど、私はどこにも行けなくてここに閉じ込められているのではなくて、自分が選んでここにいるのだからね。

takako様、楽しい時間をありがとうこざいました。
「アンを探して」を観るの、楽しみにしておりますからね。
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by linket | 2009-04-10 09:07 | ●無駄人間になってやる
c0007384_19554476.jpg12月13日(土)、田口ランディさんが講演した高野山スピリチュアルケアセミナーの第四回に行ってきた。
スピリチュアルって言葉は、江原啓之さんが使い始めたときはそれほどでもなかったけど、なんかもうあちこちでいいように使われているうちに、手垢つきまくりのインチキ商売てんこ盛りな匂いがプンプンになってしまって残念だ。
まあ、そんなわけで『スピリチュアルケアセミナー』なるものにも眉唾なイメージをもってしまうわけだが、私はずっと『看取り』に興味があって、エリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間—死とその過程について』(中央公論新社)なども読んでいたので、ランディさんがエリザベス・キューブラー・ロスについての話をするならぜひ聞きたい!と思って、重い腰を上げたのだ(基本的に出不精で、慣れないことは敬遠しがちなのに)。

当日、パンフレットと共に受け取ったアンケートを、講演前の空き時間に記入し始める。

 男か女か? 年代は? どこで知ったか? 受講したきっかけは? ・・・・・
『スピリチュアルケアに関する資格があれば、取得を目指したいですか?』


という項目で、ハタと手が止まる。
スピリチュアルケアの資格取得を目指す人は、やはり医療関係の人が多いのだろうか?
あるいは宗教的な支えをお持ちの方で、奉仕活動に活用とか?
資格があるとどんな場面で有利なのだろうか?
普通免許以外なんの資格もない私は、一瞬、この興味深い資格取得に憧れを抱いたのだが、取ったからと言って仕事にするつもりもないでしょ?と、自らツッコミ。

私はただ、近しい人が死にゆくときに、当たり前に側にいたいだけなのだ。
愛する人がこの世からいなくなってしまう日のことなんか考えたくはないのだが、死に逝く人の側に当たり前にいるってことは、そうそう簡単にできることではない。
だから、そういう時でも崩れたりしない自分を、今から準備をしておきたいと思う。

私のバイブルともいうべき『チベットの生と死の書』(ソギャル・リンポチェ著:講談社)の中で、「死にゆく人とともにあるために」という章に、次のような下りがある。

 自分を買いかぶらないこと。
 死にゆく人に奇跡を起こしてやろうなどと思わないこと。
 「救って」やろうなどと思わないこと。
 そんなことをしても失望するだけなのだから。
 (中略)
 何かの達人でなくてならないなどと思わないこと。
 ただ自然でいなさい。


死にゆく人のかたわらで、ただ自然にしていること。
それがどんなに難しいことで、でも大切なことか、私は父の死から学んでいる。
まだ高校生だった私は、そのとき『17歳で父を亡くす不憫な末っ子』として扱われ、父の死から遠いところにいさせられた。
それは優しい大人たちの配慮だったが、蚊帳の外に出され、父になにもしてあげられなかったことに、私はとても怒っていたのだと、今になると思う。

人が死ぬということは、もう愛する人と関われないということだ。
見つめ合うこともできない。
手を握ることもできない。
一緒に笑ったり、泣いたり、テレビを見たり、買い物に行ったり、ご飯を食べたり、旅行に行ったり、同じ空を見上げたり、あるいは喧嘩したり、仲直りしたりすることもできないってことだ。
ある人との関係性を、積み上げることも、改善することも、ブッ壊すこともできない。
それはね、想像以上に辛いことだよ。

前置きが長くなった。
私がアンケートへの熱意を失ってしまったところで、ランディさん登場。
ブログや本などの文章から、もっと近寄りがたいオーラを放つ大柄の女性を想像していたのだけど、シックなお着物(でも襦袢などに凝っていることを、着物好きのアタクシは見逃さないのであった)を着ているせいもあって、華奢でかわいらしいイメージだ。
でも、しゃべり出すと、その見かけのイメージとは全然違う潔さがある。

「そもそも、スピリチュアリティを学ぶということが、スピリチュアリティから乖離しているのではないでしょうか?」

なんて、のっけから言い放つので、思わず苦笑。
だって、会場の皆さんは、「一生懸命学びに来てます! どうぞ教えてください!」って雰囲気がバリバリに出ているのに、いきなりこんな牽制球。
おもしろすぎる。

ランディさんは、ご自分の豊富な体験を紹介しながら、私たちを揺さぶり続ける。
正しい答えを求める人たちに、自分で考えなきゃ意味がない、と突き放す。
私たちは常に矛盾を生きているのだから、答えはないけれど、考えて、考えて、考えて生きていかなければならないのだ、と繰り返す。

『無力こそ絆』になるのだという言葉が、とても印象的だった。
死にゆくことは無力を受け入れることだ。
どんなにお金があろうが、権力があろうが、いいお医者さんにいい治療してもらおうが、徳を積んで人のために尽くした人生であろうが、今のところ必ず誰もが死ぬ。
その無力さに寄り添うためには、寄り添う側も、自らが無力な人間であることと向き合っていなければいけないのだろう。

c0007384_16293456.jpg講演が終わってから、田口ランディさんの『聖なる母と透明な僕』(青土社)にサインしていただいた。
作家さんに直接サインをいただいたのは初めてで、ドキドキした。
そして、この本も、とってもドキドキする本だった。
そのドキドキ感と言ったら、会社帰りの電車の中で読みふけると、6駅も乗り過ごしてしまうというほどのものだよ!
6駅って、我ながら唖然とした。
ランディさんの本を読むと、いつも現実から飛ばされる。
すべてだと思っている世界が、実は狭い思いこみの世界でしかないことを思い知らされる。
それは一つの絶望だけど、なんて甘美な絶望だろうか!
私は、この現実世界を壊しても生きていけるのだ、きっと。
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by linket | 2008-12-19 19:56 | ●メメントモリ(死に支度)
c0007384_15511150.jpgよしもとばななさんの最新書き下ろし小説『彼女について 』を、出勤途中の電車の中で読み終わった。
昨日、本屋で立ち読みを始めて、20Pくらい読んだら、「ああ、もうこれは観念して買おう」と思った一冊。
間違いなく、私の中の殿堂入りとなる一冊になった。

昨日は、珍しく仕事が早く終わったので、家に帰って小一時間台所に立ち、家族のために夕食を作る。
たいしたものじゃないけど、ポトフと、cook doのチンジャオロースと、かぼちゃの煮物。
息子は帰りが遅かったので、夫と娘と三人で先に食べた。
食べ終わりそうな頃に、息子からメール。

「今となりの駅。熊本(仮名)がお邪魔する」

熊本君というのは、同じサークルの同級生。
一人暮らしだから夕飯(というか野菜!)を食べさせねばと、おせっかいおばさんのスイッチが入った私は、冷凍のご飯を解凍し、冷凍ギョーザを焼いて、キンピラをつくり、ブロッコリーまで茹でて食卓に並べた。
田舎の、お客さんがやたらくる家に育ったので、人がフラリとやってくることに違和感がない。
家族の日常に他人が入ってくることの新鮮さにワクワクする。
もちろん、いつもの自分のテリトリーに他人が入ってくることの面倒くささはあるんだけど、そんなに嫌いじゃない。

そういう土台を作ってくれた家族というか、私の育った家族だけじゃなくて、近所のおばちゃんやおじちゃんや、兄弟のように育った友達のありがたさを、この本を読んで改めて思い出した。
みんな、いいことばっかりの人生じゃなかったのに、辛いこと、嫌なこと、いっぱいあったのに、よき人であろうと一生懸命生きていた。
そういうことを、小さいころからつぶさにみてきた私の土台は大丈夫だ、と思って泣けてくる。
そして私は今でも自分の土台を作り続け、その土台を土台に、子供たちが自分の土台を形成していく。

私の思いが、私の人生を創っている。
思いは移ろいやすいものだ。
意識しなければ、感情的なその場限りのものだ。
すべてははかない夢みたいなものが思いだからこそ、その中から自分が選りすぐったことを形にしていくこと、それが表現するってことだし、反応ではなく、表現できることが、生きることの醍醐味なんだと思う。

例えば、子供に絵を描かせたりすると、びっくりするくらいいい絵を描くことがある。
別に技術が優れているわけじゃないのに、きれいでエネルギーに溢れている表現。
それは、生きることで体験せざるを得ないゴチャゴチャとしたものを、まだ子供は知らない(あるいは知らされないように守られている)からなのだと思う。
大人につれて、そのゴチャゴチャのものにまみれるにしたがって、子供の頃のような純粋な絵は描けなくなってしまう。
反応的な生き方だけしていたら、現代のこの世界に、救いはない。

でも、本当は私はなんでもできるのだ。
強い思いを結晶化させて、子供のように偶然にではなくて、自分の思いを表現することができるのだ。
こんなどうしようもない世の中でも、幸せに咲くことはできるのだ。
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by linket | 2008-11-21 11:48 | ●メメントモリ(死に支度)
c0007384_11441799.jpgこの度、『深呼吸和歌集 No.3「最近、人生について考えると、眠くなる」』(撰 きつかわゆきお:株式会社オンブック)が発売されました。
深呼吸歌人hamiとして、私も5月末から合流していた深呼吸する言葉ネットワークで、日々生み出される多くの深呼吸の中から、選りすぐりを集めたアーカイブ本になっています。
そして、このアーカイブ本に2作、hamiの深呼吸も掲載されました。

自分の書いた言葉が、値段のついた本になったのは初めてなので、なんだか不思議。
手が震えるくらいドキドキして、ページをめくった先に見つけた自分の言葉に歓喜の涙が!ってなことを想像していたのですが、いやあ、これがなんというか、自分が書いた言葉ではあっても、もう自分だけのものではないというか、「おお、あんた、私の知らないうちに立派になったねぇ」という、親戚のおばさんのような気持ちです。

個人的に好きな深呼吸を、いくつか紹介させていただこうと思ったのだけど、これがね、非常に難しいので挫折。
一つのケーキ屋さんに行って、「ここのアップルパイが大好き」ということはできるけど、有名スイーツ店の一押しケーキを一堂に会して売っているイベントに行ったら、「あれもこれも食べたい!選べないよ!」って気持ちになったようだと言えば、私の苦悩を少しはわかって頂けるのではないかと思う。
(この対応に不満を持つ方は、オンブックの立ち読みページで、何作が読んでいただくことをおすすめします)

我が家は11Fなので、眼下に数え切れないくらいの家が見渡す限り広がっている。
あの屋根の下の一つ一つに家族がいて、それぞれの人生を生きていると思うと、単純にすごいなぁと、感嘆せずにはいられない。
みんな幸せになりたくて生きているんでしょう。
死にたい人も、誰かを殺したいと思っている人も、そうすることで今の自分より幸せになれると信じてしまっているからそうするわけで、いろんなことを考える人がいることの多様性に畏敬の念というか、憐れみというか、いとおしさというか、慈しみというか、そんなごっちゃな気持ちが溢れてきて泣いてしまう。。。そんな一コマを本にしたら、こんな本になるのかもしれない。

この本に集められた言葉たちは、権威ある人間が発した正しい言葉でもなく、頭のいい人が答えだけを教えてくれるhow toものでもない。
年齢も性別もさまざまで、いろんな立場の市井の人間が日々の生活の中からすくいあげた、ささやかな営みの言葉たちだ。

情報から得た知識ではなくて、体験から生まれた実感だけが人の心に届く。
私が体験できることは、ほんとに小さな世界であるけれど、私以外のたくさんの人たちが、それぞれの体験の中から得た実感を言葉にしてくれる。
それに私は励まされるのだ。
生きているってまんざらでもないなと、同志の横顔を見て微笑みながらね。
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by linket | 2008-09-07 11:56 | ●深呼吸する言葉合流録

この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため


by hami