Frosty Night(逝くなら霜夜に!)

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この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため

c0007384_7535352.jpg髪がだいぶ伸びてきて鬱陶しくなったので、カットに行った。
カットで行く美容室は、かれこれ10年以上通っていて、私と同い年くらいの男子が一人でやっている。
鬱がひどかったときに、やる気満々の美容室には恐ろしくていけなかったところ、友達がこの美容室を紹介してくれた。
植物のように静かな兄さんが、まるでやる気がなく(やる気はないが腕はある)淡々と仕事をしてくれるので、すっかり気に入って、それからずっと通っている。

この間、紹介してくれた友達が、
「美容室に行ったら、富山さん(仮名)、なんか病気したらしくて、すんごい痩せちゃってたよ。」
と、言っていたのだが、ほんとに人相が変わるくらい痩せていた。

「うわぁ! ほんとに痩せたね。」
「死んじゃいますかね。」
「平気、平気。私、死にそうな人ってわかるんだ。」
「えーっ? そうなんですか? やっぱり黒く見えるんですか?」
「う~ん、見えるわけじゃないんだけどね。黒っていうよりも、明るく白っぽい感じがするっていうか?」
言葉ではうまく言い表せないけど、高村光太郎のレモン哀歌にある『かなしく白く明るい死の床』みたいなものが伝わってくるんだ。
「だからね、富山さんはまだ死なないよ、大丈夫。」

いや、ほんとは全部の人の死期がわかるわけではないが、まあ、ここはプラシーボ効果をねらってはったりをかましておく。
嘘から出た誠ってことわざもあることだし、たとえ死ぬことがわかったとしても、私は誰かに対して「あんたは死ぬ」なんて予言したりしない。
本当の本当には未来は変えられるからね。

地方から出てきて、いまだひとり暮らしの富山さん。
「ねえ、こっちに友達とかいるの?」
「いませんよ。というか、もともと友達いないんですよね。」
「やっぱり。」

一人だからといって寂しがるわけでもない自立した静けさが富山さんにはある。
そこが楽なんだよね。
積極的にはなにかとつながろうとせず、かといってそれについて自己否定もしないから、すごく素直に彼は彼なのだ。
だけど普段元気に生活してるときはそれでいいけど、なにかあったとき、人は絶対に誰かの手をわずらわせないといけなくなるだろうから、ついおせっかいな私は
「あのさ、もしも倒れるとか死にそうとかいう時は、私が予約した日にしなよ。そしたら面倒にならないように、全部手配してあげるからさ。」
と、言ってみた。

「とりあえず、田舎に家族とかいるんでしょ?」
「ええ、まあ。」
「じゃ、遺体の始末はその人たちがやってくれるから、救急車とか、警察とかの対応は任せてよ。」
こんな縁起でもない話をすると、怒る人も多いのだが、富山さんはちゃんと自分の死後についても想定していて、フラットに聞いている。
「ほんと面倒だから、死ぬときは消えてなくなりたいですよ。」
「ああ、きれいに生きてるとね、七色の光になれるらしいよ。」
「マジですか?」
「うん。私、チベット密教が好きでそういう本読んでるんだけど、別に僧侶とかじゃない普通のおっさんでも、真摯に自分の人生を生き切ると七色の光になって、後に残るのは髪の毛と爪だけなんだって。」
「へぇーー、それ、いいですね。」
「たださ、7日間くらい、遺体を静かなところにほっとかなくちゃいけないらしいよ。」
「7日間も発見されないのは難しいですよね。」
「店の入口に『旅行中です』とか張り紙して、奥の部屋で死んじゃえば(あくまでも自然死の話。自殺はダメだよ)。」
「そうですねぇ。」
「そしたら7日目くらいに私が発見してあげるよ。警察では迷宮入りの事件になるけど、髪の毛と爪をみて『ああ、富山さんは七色の光になったのね、よかった』って、空を仰いでお祈りするよ。」
「いいなぁ、それ美しいなぁ。」
普通、ここでいいなぁって言わないよ、と話を振っておいて思うが、なんか富山さんならほんとにそんな風に静かに死んで、七色の光になれそうだ。

「いや、でも長生きしてよ。私、ここがなくなったら、すごく困るから。」
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by linket | 2007-04-26 08:06 | ●メメントモリ(死に支度) | Comments(2)
お墓って売れるのかな?と知人に聞かれた。
新規事業で墓の販売を手がけたいらしい。
「はぁ、どうなんですかね? とりあえず、今の年寄り達は墓に入りたいと思ってるでしょうから、子ども達もそれを叶えてあげるでしょうね。だから、今ならまだ売れるんじゃないですか? ただ、ゆくゆくは墓に入らなくちゃという人は減っていくと思いますよ。」
「どうして?」
「個人的にはですけど、墓守を子供に押しつけたくないですし、私は宗教的なもののもっていませんから、墓はいらないと思っているんです。だいたい高いし、もったいないですよ。主人も同じような考え方です。この間出た法事でも、60代くらいの方が『自分は墓は作らない』っておっしゃってましたよ。」
「俺は長男だから、入る墓はあるからなぁ。でも、墓を残さないと子供に迷惑じゃない?」
「墓が絶対的に必要なものだという前提があるから、残さないと迷惑になるのであって、墓がなくてもいいんだと思えれば、必要ないですよ。法的に決められているわけじゃないし。」
「骨は墓に入れなくちゃいけないんじゃないの?」
「そんなことないですよ。個人的に自宅で保管しておくことなら問題ないんですよ。骨の形のままどこかに遺棄したら罰せられますけど、粉々にしてしかるべき場所で良識ある撒き方をするなら、散骨(骨と書いてあるが粉にしないとダメ)も現行法では罰せられません(※但し条例はそれぞれなので、もし実行する場合は確認を!)。」

そうなのだ、墓なんて実は必要ないのだ。
海や森に散骨する手伝いをしてくれる業者もあるし、粉にした骨をインテリアやアクセサリーやタイルにしてくれる業者もある。
一年ほど前、友人の父上が亡くなったのを機に、急に葬式や墓に興味が湧いて、自由葬のシンポジウムに参加したことがある(参加者の中ではかなり若い方だったので、会場では浮いていたが)。
パネリストの玄有宗久(げんゆうそうきゅう)さんが、最近は他人の墓に勝手に遺骨を入れる託卵ならぬ『託骨』まであるという話をしていた。
死んでまで、人様の迷惑になるのはやめましょう!
と言っても、迷惑を引き起こしたのは死んだ本人の遺族だったりするわけだが、自分の骨の後始末について、遺族に迷惑をかけるようなことのないようにしたいとその話を聞いて思った次第。
財産も家も名誉も残せそうにないしね、えらそーに墓だけ残す気になれないので、どうか私が死んだら骨は粉々に砕いて、生ゴミに混ぜ、こっそり可燃物の日に出してくださいな。
そんなことで呪ったりはしないので、ご安心を!
私はどんな弔われかたをしようとちゃんと成仏しますのでね。
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by linket | 2006-03-23 09:51 | ●メメントモリ(死に支度) | Comments(0)

今日は父の命日

17歳の12月5日は、日曜日だった。
まだ学校が週休二日制ではなく、その日曜日をはさんで、金・土・月・火が高校の期末テストだった。
家から高校が遠いため下宿生活をしてした私は、普通なら週末は家に帰るのだが、その週末はテスト勉強のために下宿に残っていた。
携帯電話などない時代。
部屋にいた私に、下宿屋のおばあさんが、お兄さんから電話がきているよ、と呼びにきた。
電話に出ると、「お父さんが危ないから、早く帰ってこい」と兄。
急いで家に帰る仕度をしている間に、もう一度兄から電話がきて、父が死んだことを知らされた。

54歳違いの父は、71歳だった。
ものごころついたときから、父は体の弱いおじいさんで入退院を繰り返してたから、父が死んだのは仕方のないことだと思っていた。
あれから20年以上が経って、ああ、父は早世だったのだと思い知る。

今日が命日。
でも墓参りはしない。
だってお墓になんか、父はいない気がするし。
父が生きていたことの名残を、御影石に置き換えないと忘れてしまう人だけが墓参りにいけばいいのだ。
私はいつだって父のことを思い出し、父のために祈って、父に助けられているような気でいるから、わざわざ墓参りに行って、
「お父さん、会いにきましたよ」
なんて、そらぞらしくて言う気にならないから。
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by linket | 2005-12-05 08:08 | ●メメントモリ(死に支度) | Comments(0)
「渡さない!」貴親方が前言撤回、若と遺骨バトル
今日は友達に借りたDVDで「世界の中心で愛を叫ぶ」を観た。
こ、これは平井堅の「瞳をとじて」の壮大なプロモーションビデオですか?
まぁ、それはおいといて、白血病で死んだ昔の彼女の遺灰をオーストラリアの風にまいていたのが、実に気になる。

骨、そんなに大事ですか?

個人的には、骨は骨としか思えない。
もしも肉体が死んでも私を構成するなにかが残っていると家族が思ってくれるなら、骨なんかより空想でもいいから魂とか星とか風とか、それが無理ならせめて遺影の中に、私のかけらを探してほしい。
骨はやめようよ。だいいち美しくないし。生々しすぎだよ。

だいたいね、大事にしたいなら、生きてるうちにやろうよ。
あたたかい手を重ねて、愛してるって伝えようよ。
たとえこの肉体がいつか朽ち果てようとも、
たとえこの愛が未来永劫つづかないとしても、
いまここにある想いを出し惜しみするなんてもったいないよ。
そんなもったいないことしてるから、伝えられなくなったとき、後悔しまくりで骨に執着しちゃうんじゃないのかな?

そもそも、骨なんか残すから騒動のもとだと私は思う。
聞くところによると、最近は遺骨の始末に困って電車に忘れたふりしてしらばっくれたり、他人のお墓に勝手に入れちゃったりする人もいるそうだ。
遺骨をそんなふうにされた場合、元の持ち主(つまり死んだ人)は成仏できなかったりするんだろうか?
そんなこと考えると、この世が成仏できない霊魂ばっかりでうまってしまいそうなので、私はどんな死に方をしても、どんな弔い方をされても、成仏できるって信じたい。
本物の神様や仏様なら、そんな迷える人こそ救って下さるはずでしょう?

骨はお墓に入れなければならないと思っている人が多いけど、実はそうでもないんですね。
お墓に入れずにずっと側に置いておいてもいいし、粉状にして『節度をもって』まくなら、散骨できる場所もある。
自分の私有地であれば、そこに散骨してもOK。
庭にお父さんの遺灰をまいてもいいわけです。
だからって、オーストラリアの大地(それもアボリジニ人の聖地)にわざわざ遺灰をまくのはどうなんだろう?
たとえばね、あなたの家の庭がすごくきれいで、知らない人がやってきて
「死んだ母はお宅の庭が大好きだったので、ここに母の遺灰をまかせていただきました」
って言われたらどうよ?
そりゃ、ないでしょう!

というわけで、おそらく私の骨を始末してくれる子ども達へ
一生貸家暮らしなのに、墓だけ買うのも私たちらしくないし、骨は遺灰にして適当に(ただし合法的に)始末してくれればそれでいいです。
私はちゃんと成仏しますので、ご安心くださいませ。
くれぐれも私が行きたがっていたイギリスのキュー植物園とかに遺灰をまくようなことはしないように!
私は生きたように死んでいくことを本望だと思っているので、そんな自己満足なことをして、大好きなキュー植物園にご迷惑かけるようなことをしてほしくはありません。
それより費用と時間を使うなら、自分たちが行きたいところに行きなさい。
生きているうちに。
そうじゃないと、今度はあなたの子どもがあなたの想いを遂げるために、宇宙とかに行って遺灰をまくハメになるからね。
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by linket | 2005-06-14 12:54 | ●メメントモリ(死に支度) | Comments(8)

墓なんかいらないよ

私は今年で40歳。
平均寿命の半分で自分の死や葬送、墓のことを考えるのは早すぎるのかもしれないけれど、いつ訪れるかわからない自分の死に際して、それを商業化されたるのは嫌だ! という思いが強い。
とにかく私は慎ましく生きてきたのだ。
自分に必要なものさえ手に入ればそれでいい。
墓はいらないんだよ。
高いし、狭いし、環境によくないし、なにより美しくないし。

昨年父の二十三回忌で兄弟が集まった際、姉に「私は墓は作らないつもりなんだ」と初めて話題にしてみたのだが、「そんなことできるわけないじゃない!」と一蹴された。
田舎で育ち、同じ町内に嫁に行った姉には、墓に入る以外の選択があることなど考えもしていないのだろう。
私も姉と同じ立場だったら、近所の知り合いがたくさん眠る共同墓地に自分が埋葬されることになんの疑いも持たなかっただろうが、私は仕事先で知り合った夫(次男)と結婚し、埼玉県の公団に住まう身だ。
この地に深い思い出があるわけではなく、さりとてどこかに憧れの地があるわけでもなく、たまたまここで子どもを生み育て、子ども達はやがてここから巣立っていく。
たとえば子ども達が遠い場所で暮らすようになったときに、私の墓を思い出すよりも、私と生きて関わった思い出そのものを思い出して欲しい。
いや、「思い出して欲しい」というか嫌でも「思い出してしまう」くらい、生きているうちに深く関わってやろうと思うのだ。

私は17歳で父を亡くしたが、22年以上経った今でも、父のことを思い出さない日はない。
まあ、忘れるに忘れられないインパクトのある人だったわけだが、年に一度行くか行かないかの墓参りよりも、私にとっては自分の生活のリズムの中に息づいている父を思い出すひとときの方が、はるかに『供養』と呼ぶにふさわしい行為として根付いている。

父を思い出すとき、私は自分の右上あたりに父の気配を感じる。
それは勝手に私が作り上げた想像の産物かもしれないが、こうして父を思い出しながらこれを書いている今も、やわらかな父の笑顔をエネルギー化したようなあたたかさが私に降りそそいでいる。

私が死んだ後、私と生きて関わった人たちもこんなふうに私を思い出してくれるといいな。
バカバカしいほど高い墓石や、信じてもいない宗教の決まり事なんかに縛られて義務的に思い出してもらっても、全然嬉しくないんだよね。
だからさ、なんどもいうけど墓石はいらないよ。
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by linket | 2005-04-16 16:21 | ●メメントモリ(死に支度) | Comments(6)

この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため


by hami