Frosty Night(逝くなら霜夜に!)

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この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため

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c0007384_19554476.jpg12月13日(土)、田口ランディさんが講演した高野山スピリチュアルケアセミナーの第四回に行ってきた。
スピリチュアルって言葉は、江原啓之さんが使い始めたときはそれほどでもなかったけど、なんかもうあちこちでいいように使われているうちに、手垢つきまくりのインチキ商売てんこ盛りな匂いがプンプンになってしまって残念だ。
まあ、そんなわけで『スピリチュアルケアセミナー』なるものにも眉唾なイメージをもってしまうわけだが、私はずっと『看取り』に興味があって、エリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間—死とその過程について』(中央公論新社)なども読んでいたので、ランディさんがエリザベス・キューブラー・ロスについての話をするならぜひ聞きたい!と思って、重い腰を上げたのだ(基本的に出不精で、慣れないことは敬遠しがちなのに)。

当日、パンフレットと共に受け取ったアンケートを、講演前の空き時間に記入し始める。

 男か女か? 年代は? どこで知ったか? 受講したきっかけは? ・・・・・
『スピリチュアルケアに関する資格があれば、取得を目指したいですか?』


という項目で、ハタと手が止まる。
スピリチュアルケアの資格取得を目指す人は、やはり医療関係の人が多いのだろうか?
あるいは宗教的な支えをお持ちの方で、奉仕活動に活用とか?
資格があるとどんな場面で有利なのだろうか?
普通免許以外なんの資格もない私は、一瞬、この興味深い資格取得に憧れを抱いたのだが、取ったからと言って仕事にするつもりもないでしょ?と、自らツッコミ。

私はただ、近しい人が死にゆくときに、当たり前に側にいたいだけなのだ。
愛する人がこの世からいなくなってしまう日のことなんか考えたくはないのだが、死に逝く人の側に当たり前にいるってことは、そうそう簡単にできることではない。
だから、そういう時でも崩れたりしない自分を、今から準備をしておきたいと思う。

私のバイブルともいうべき『チベットの生と死の書』(ソギャル・リンポチェ著:講談社)の中で、「死にゆく人とともにあるために」という章に、次のような下りがある。

 自分を買いかぶらないこと。
 死にゆく人に奇跡を起こしてやろうなどと思わないこと。
 「救って」やろうなどと思わないこと。
 そんなことをしても失望するだけなのだから。
 (中略)
 何かの達人でなくてならないなどと思わないこと。
 ただ自然でいなさい。


死にゆく人のかたわらで、ただ自然にしていること。
それがどんなに難しいことで、でも大切なことか、私は父の死から学んでいる。
まだ高校生だった私は、そのとき『17歳で父を亡くす不憫な末っ子』として扱われ、父の死から遠いところにいさせられた。
それは優しい大人たちの配慮だったが、蚊帳の外に出され、父になにもしてあげられなかったことに、私はとても怒っていたのだと、今になると思う。

人が死ぬということは、もう愛する人と関われないということだ。
見つめ合うこともできない。
手を握ることもできない。
一緒に笑ったり、泣いたり、テレビを見たり、買い物に行ったり、ご飯を食べたり、旅行に行ったり、同じ空を見上げたり、あるいは喧嘩したり、仲直りしたりすることもできないってことだ。
ある人との関係性を、積み上げることも、改善することも、ブッ壊すこともできない。
それはね、想像以上に辛いことだよ。

前置きが長くなった。
私がアンケートへの熱意を失ってしまったところで、ランディさん登場。
ブログや本などの文章から、もっと近寄りがたいオーラを放つ大柄の女性を想像していたのだけど、シックなお着物(でも襦袢などに凝っていることを、着物好きのアタクシは見逃さないのであった)を着ているせいもあって、華奢でかわいらしいイメージだ。
でも、しゃべり出すと、その見かけのイメージとは全然違う潔さがある。

「そもそも、スピリチュアリティを学ぶということが、スピリチュアリティから乖離しているのではないでしょうか?」

なんて、のっけから言い放つので、思わず苦笑。
だって、会場の皆さんは、「一生懸命学びに来てます! どうぞ教えてください!」って雰囲気がバリバリに出ているのに、いきなりこんな牽制球。
おもしろすぎる。

ランディさんは、ご自分の豊富な体験を紹介しながら、私たちを揺さぶり続ける。
正しい答えを求める人たちに、自分で考えなきゃ意味がない、と突き放す。
私たちは常に矛盾を生きているのだから、答えはないけれど、考えて、考えて、考えて生きていかなければならないのだ、と繰り返す。

『無力こそ絆』になるのだという言葉が、とても印象的だった。
死にゆくことは無力を受け入れることだ。
どんなにお金があろうが、権力があろうが、いいお医者さんにいい治療してもらおうが、徳を積んで人のために尽くした人生であろうが、今のところ必ず誰もが死ぬ。
その無力さに寄り添うためには、寄り添う側も、自らが無力な人間であることと向き合っていなければいけないのだろう。

c0007384_16293456.jpg講演が終わってから、田口ランディさんの『聖なる母と透明な僕』(青土社)にサインしていただいた。
作家さんに直接サインをいただいたのは初めてで、ドキドキした。
そして、この本も、とってもドキドキする本だった。
そのドキドキ感と言ったら、会社帰りの電車の中で読みふけると、6駅も乗り過ごしてしまうというほどのものだよ!
6駅って、我ながら唖然とした。
ランディさんの本を読むと、いつも現実から飛ばされる。
すべてだと思っている世界が、実は狭い思いこみの世界でしかないことを思い知らされる。
それは一つの絶望だけど、なんて甘美な絶望だろうか!
私は、この現実世界を壊しても生きていけるのだ、きっと。
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by linket | 2008-12-19 19:56 | ●メメントモリ(死に支度)
c0007384_10165455.jpg以前、記事にしたフジテレビの倉本聰ドラマ『風のガーデン』が、いよいよ佳境。
ほぼ予想通りの展開になってきたので、毎週、テレビに向かって唸っている。
こんな簡単なわけねーーだろ!って。

もしも、自分の余命があと半年だと宣告されらどうするか?
そんなもん思い知らされたら、人って、もっと怒ったり、絶望したり、グチャグチャになるはずなのだ。
風のガーデンの主人公のように、女好きで好き勝手やって、妻が夫の不倫を苦に自殺したその瞬間も愛人といちゃついていたことでまじめな親父から絶縁され、子供とも引き離されていた中年男が、こうもあっさり簡単に、「私の人生は罪深く、残りの半年でなんとかみんなに償いをして、きれいな心で死にたいものだ」的な展開が、簡単すぎて、むなしくさえある。
主人公の余命を知ったまわりの人たちも、手のひら返して優しくなって、彼の罪を許そうとするのだ。
なんというイリュージョンであろうか!(まっ、ドラマだからね)

私がもしこいつの子供だったら、そんな簡単に許してやれないね。
「父さんが悪かった」って言われて「そんなことない」なんて言えないね。
「そうだ、あんたのせいで、心優しい母さんは死んだんだ。私たちだって、親のいない人生を歩まされてどんなに大変だったか!」と、罵声の百や二百を浴びせつつ、「そんな簡単に許されると思うなよ。死んでも許してやらないから!」とか言うに違いない。
そして、こういう反応に相手はきっと「なんだ、俺はもうすぐ死ぬんだぞ。許してくれないなんてなんてひどいヤツなんだ!」とか反撃してくるに違いない。
「もうすぐ死ぬ」は免罪符かよ!
悪いことをしたと思うなら、こちらの怒りも全部引き受けてから死にやがれ。
そういうことをすっ飛ばして、都合よく、きれいにかっこよくなんか死ねないのだよ。

一人でのたれ死ね!
そうやって生きて来たのだから。

ただ、世の中にはこんな男でもきっと愛してくれる人がいて、そんな風に生きてきたことを『反省するなら許してあげる』というのではなくて、『そんなもの丸ごと全部受け入れて赦せるよ』という人がいるのではないかというファンタジーなら、私は信じているのよね。
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by linket | 2008-12-05 10:37 | ●メメントモリ(死に支度)
c0007384_15511150.jpgよしもとばななさんの最新書き下ろし小説『彼女について 』を、出勤途中の電車の中で読み終わった。
昨日、本屋で立ち読みを始めて、20Pくらい読んだら、「ああ、もうこれは観念して買おう」と思った一冊。
間違いなく、私の中の殿堂入りとなる一冊になった。

昨日は、珍しく仕事が早く終わったので、家に帰って小一時間台所に立ち、家族のために夕食を作る。
たいしたものじゃないけど、ポトフと、cook doのチンジャオロースと、かぼちゃの煮物。
息子は帰りが遅かったので、夫と娘と三人で先に食べた。
食べ終わりそうな頃に、息子からメール。

「今となりの駅。熊本(仮名)がお邪魔する」

熊本君というのは、同じサークルの同級生。
一人暮らしだから夕飯(というか野菜!)を食べさせねばと、おせっかいおばさんのスイッチが入った私は、冷凍のご飯を解凍し、冷凍ギョーザを焼いて、キンピラをつくり、ブロッコリーまで茹でて食卓に並べた。
田舎の、お客さんがやたらくる家に育ったので、人がフラリとやってくることに違和感がない。
家族の日常に他人が入ってくることの新鮮さにワクワクする。
もちろん、いつもの自分のテリトリーに他人が入ってくることの面倒くささはあるんだけど、そんなに嫌いじゃない。

そういう土台を作ってくれた家族というか、私の育った家族だけじゃなくて、近所のおばちゃんやおじちゃんや、兄弟のように育った友達のありがたさを、この本を読んで改めて思い出した。
みんな、いいことばっかりの人生じゃなかったのに、辛いこと、嫌なこと、いっぱいあったのに、よき人であろうと一生懸命生きていた。
そういうことを、小さいころからつぶさにみてきた私の土台は大丈夫だ、と思って泣けてくる。
そして私は今でも自分の土台を作り続け、その土台を土台に、子供たちが自分の土台を形成していく。

私の思いが、私の人生を創っている。
思いは移ろいやすいものだ。
意識しなければ、感情的なその場限りのものだ。
すべてははかない夢みたいなものが思いだからこそ、その中から自分が選りすぐったことを形にしていくこと、それが表現するってことだし、反応ではなく、表現できることが、生きることの醍醐味なんだと思う。

例えば、子供に絵を描かせたりすると、びっくりするくらいいい絵を描くことがある。
別に技術が優れているわけじゃないのに、きれいでエネルギーに溢れている表現。
それは、生きることで体験せざるを得ないゴチャゴチャとしたものを、まだ子供は知らない(あるいは知らされないように守られている)からなのだと思う。
大人につれて、そのゴチャゴチャのものにまみれるにしたがって、子供の頃のような純粋な絵は描けなくなってしまう。
反応的な生き方だけしていたら、現代のこの世界に、救いはない。

でも、本当は私はなんでもできるのだ。
強い思いを結晶化させて、子供のように偶然にではなくて、自分の思いを表現することができるのだ。
こんなどうしようもない世の中でも、幸せに咲くことはできるのだ。
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by linket | 2008-11-21 11:48 | ●メメントモリ(死に支度)
c0007384_11214174.jpg最近は、あんまり真剣にドラマを見ることはないのだけど、フジテレビの『風のガーデン』は珍しく録画してみている。
表題の『人は最期に何処に還るのだろう。』は、番組のテーマメッセージ。

脚本の倉本聰さんが好きだったこともあるが、先日71歳で亡くなった緒形拳さんを見たいからだ。
緒形さんって、父に雰囲気が似ているのだ。
父が亡くなったのが、72歳になってすぐだったので、特にその最期の姿が重なって泣いてしまう。

父が亡くなる数ヶ月前の夏。
それは私が高校2年の夏で、それまで病気がちで入院ばかりしていた父が、いっとき、ものすごく元気になって、バイトに行く私を車で送ってくれたりした。
あのときの笑顔の向こうに後光のように輝く光(実際に見えて光っていたわけではないけれど、そういう明るい何かが父を包んでいた)を、今でもハッキリと思い出すことができる。
ひとの最期が、あんな風に明るく温かい光に包まれていくのなら、死ぬのも悪くないのかもしれないという想いは、あのときの父が教えてくれた。
もちろん、それから長く生きているうちに、そういう風に死んでいく人ばかりではないことも知ったけど、私にとって『死』というのは、避けて通りたくなるほど怖くて嫌なものではない。

役柄のためもあるかもしれないけれど、画面で見る緒形拳さんからも、そんなものが伝わってくる。
見た目はかなり痩せて、痛々しくさえあるけれど、滅びゆく肉体の奥から、輝きを増していく魂が美しくて、ただ泣ける。
ストーリーなんかどうでもよくて、緒形拳さんが黙って立っている映像の神々しさが見たくて、毎週見ている。

緒形拳さんの臨終のことが、美談みたいに伝えられて、「自分もああいう風に死にたい」とあちこちで聞いたり、読んだりしたけど、ああいう風に死ぬには、まず、ああいう風に生きなければ、最後の最後の仕上げの段になって、ああいう風に出来るはずがない。

『ああいう風』とは、どういう風?と言えば、自分を生きることだろう。
他の誰でもない自分の人生を丁寧に積み重ねていくこと。

なにもそれは大げさなことではなくて、冷凍庫に牛肉を発見して、おお、そうだ、今日はビーフシチューを作っちゃおう!
みたいなことなんだけどね。

倉本さんはドラマの結末をどんなふうにするのかな?
個人的な希望を言えば、若い人や純粋な人に頼りまくった上で、傍若無人な大人が改心する、なんて都合のいい結末ではありませんように。
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by linket | 2008-10-17 11:25 | ●メメントモリ(死に支度)

私の役割

c0007384_13391315.jpg何ヶ月ぶりで和歌山さん(仮名)というママ友達に電話したら、親しくしていた友達が癌で亡くなったと教えてくれた。
うちの子供の同級生のお母さんでもあるので、私も何度か話したことのある人だ。
50代半ばだったそうだ。
一番下のお子さんはまだ中学校一年生。
胸が痛い。

「こんな落ち込んでて、ごめんね」
と、和歌山さんが言ったので、
「そんなことないよ。親しくしてた人が亡くなったんだもの、悲しくって落ち込んで、どうしようもなくなって当たり前だよ。」
と、心から言う。

近しい人が死んでしまうのはつらく、悲しい。
もう一緒にご飯を食べることができない。
一緒に笑うことも、喧嘩することも、手を重ねることもできない。
確かにあったものを失ってしまうことの悲しみは、何年たっても消えることはない。
それでも生き残ったものは、生きて行かなければならない。
思い出を語り合い、悲しみを薄めながら、生活していかなければならない。
ならば、愛する人が死んでしまったことの怖さではなくて、その人がこの世にいたこと、精一杯生きたこと、一緒に笑ったことを、この胸に刻んで生きていこう。
それが本当の供養だと思うから。

私は死を怖いことだと思っていない。
それは父を早く亡くしたせいかもしれないし、自分が鬱になってこの世からいなくなることばかり考えていたこととも関係があるかもしれないが、死は当たり前のことだから怖くはない。
誰かが死んで誰かが永遠に生き続けるなら、死は不幸なことかもしれないけど、誰だって死ぬのだから、(幸福ではないし、若死にすることは残念なことではあるとしても)死が不幸だとは思わない。

だから、私は近しい人たちが死を怖がったときに、側にいる。
それが死を怖れない私の役割だと思っている。
別に宗教を持っているわけではないし、私のように考えろと相手に強要するつもりもない。
ただ、「大丈夫だよ」と、怖れない姿を見せるだけで、怖がっている人の心の揺れが、少しでも収まるといいなと思うだけだ。
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by linket | 2008-08-11 13:56 | ●メメントモリ(死に支度)
c0007384_1221679.jpg東京はすでに桜吹雪。
そうだ、今日は叔父の命日だったのだ。
父が亡くなった翌年の春だから、私が高校三年になった時だ。
詳しくは知らないけれど、叔父は医療ミスで死んだらしい。
簡単な手術で入院したはずが、手術中に帰らぬ人となった。
母と一緒に弔問した際、お棺の中の叔父の顔は、生前の愛嬌溢れた顔とはかけ離れた苦悩に満ちた顔だった。
父は安らかな顔を置いて逝ったので、同じ死ぬのでもこんなにも無念を顔に刻んで死んでいく人もいるのだということを、17歳にして私は見せつけられた。
どうやったらこれほど…というほど叔父の顔は大きく膨れ、土色に変色した皮膚はヒビ割れて、(申し訳ないけど)到底、人のものとは思えなかった。
ガキだった私はただただ恐ろしくて怯え、お願いだからあの姿で夢には出てこないでと祈ったものだ。

叔父が亡くなって25年が経つ。
未だに忘れられない叔父の死顔ではあるが、有り難いことにあの姿が夢に出てきたことはない。
叔父のことを思うと浮かぶのは、愛敬のあるあの笑顔。
死者を思い出すとき、決まって笑顔なのはなんでだろう?
どっちかと言うと嫌いだった祖母も、中学の同級生の中で一番先に事故で死んでしまったイシダも、幼い子供を遺してガンで亡くなったチヨミも、思い出すのはみんな笑顔なのだった。
あの世では幸せであって欲しいという私の願望が勝手に創る幻想かもしれないが、私には死者たちが、今もどこかで元気にしているよ、と、笑顔を送ってくれているような気がしてならない。

私は生き長らえて、今年も桜を愛でる。
桜は、泣くみたいに散るのだなぁと、今年初めて気がついた。
泣くといっても、決して号泣とか慟哭というのではなく。
あふれすぎたものをただ地に返すように、静かに花びらを落とす。

ねがわくは花の下にて春死なん そのきさらきの望月のころ


というのは、西行の歌。
どうせ一回は死ぬので、できるなら私は桜の季節に死にたい。
そして遺された者たちが、桜が散るのを見るたびに、私の笑顔を思い出してくれたら嬉しい。
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by linket | 2008-04-05 12:02 | ●メメントモリ(死に支度)
c0007384_17464767.jpg父が亡くなったのは、私が高校二年の冬だった。
父と過ごした時間よりも、父がいなくなってからの時間の方がはるかに長くなってしまった。
それでも、父の亡骸が家に戻ってきた時のことは、今でもはっきりと覚えている。
眠っているような穏やかな顔で横たわる老いた男は、形こそ父そっくりではあったが、もう私が知っている父ではなかった。

何かが足りない。

体のぬくもりとか、聞こえない息づかいとかだけではなく、もっと決定的に父を父として成す一部分が欠けているという感覚。
ああ、これこそ人が死ぬということなんだと、私は父の冷たい足先をさすりながら思い知った。

父は宗教的教義からではなく、哲学的見地から、『人間は肉体と魂と知恵でできている』と、よく言っていた。
常日頃、父がそう話してくれていてよかったと思う。
父の体がなくなっても、どこかで魂は元気にしているのだともしも思えなかったら、父の体が焼かれることなど耐えられなかったに違いない。
国や宗教によっては死者への冒涜とさえ言われる火葬が、日本ではこれほどまでに広く認知されている。
それは、死んだら魂は天国に行って幸せに暮らすのだという世界観が、私たち日本人の心の奥に、深く根づいているからかもしれない。

確かに、魂や天国があるのかは証明できない。
でも科学的に証明された『事実』だけが、人を幸せにする『真実』というわけではないだろう。
大きくなる過程でサンタクロースは本当にはいないんだと知っても、プレゼントが届くのを心待ちにした思い出は消えることがない。
それと同じで、父の魂は天国で私たちを見守ってくれていると私は信じたい。
たとえそれがファンタジーだとしても、父がときおりは風になり、花になり逢いに来てくれるのだと。

実際父のことを思い出すと、私は自分の右上のあたりに父の存在を感じる。
それは私が捏造したものかもしれないけれど、父の笑顔をエネルギー化したようなあたたかい何かが、降りそそいでくるような気がして仕方ない。
不思議なものだ。
父が生きていたときはケンカばかりしていたし、反抗期真っ盛りだった私は、ほとんど口もきかなかった。
それが、形ある父を失ってからの方が、私は一方的に父に話しかけているし、夢に出てくる父はいつも穏やかに微笑んで、黙ってあたたかい手で私を励ましてくれたりするのだ。

 愛する人を亡くすということは、もういままでのような関わりができなくなるということだ。
一緒にご飯を食べたり、テレビを見たり、笑ったり、ケンカしたり、そういう平凡な繰り返しが、ある日突然リピートできなくなる。
それはとても辛く悲しい体験だ。
決して幸せとは言い難い感情だろう。
けれど、愛する人との関わりは死んだら終わりというわけではなさそうだ。
そのことを、私は父の死によって人より先に知ることができた。
だから愛する人といつか別れなければならないことを、私はあまり不安に思ってはいない。
別れは私だけに訪れる不幸ではなくて、誰にでもやってくる変化の扉なのだ。

その前に立つ日がまたやってきたら、怖れずに扉を開けよう。
泣きながら開けるその扉は、結局は幸せにつなげることができると私は知っているから。
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by linket | 2007-04-29 14:11 | ●メメントモリ(死に支度)
c0007384_7535352.jpg髪がだいぶ伸びてきて鬱陶しくなったので、カットに行った。
カットで行く美容室は、かれこれ10年以上通っていて、私と同い年くらいの男子が一人でやっている。
鬱がひどかったときに、やる気満々の美容室には恐ろしくていけなかったところ、友達がこの美容室を紹介してくれた。
植物のように静かな兄さんが、まるでやる気がなく(やる気はないが腕はある)淡々と仕事をしてくれるので、すっかり気に入って、それからずっと通っている。

この間、紹介してくれた友達が、
「美容室に行ったら、富山さん(仮名)、なんか病気したらしくて、すんごい痩せちゃってたよ。」
と、言っていたのだが、ほんとに人相が変わるくらい痩せていた。

「うわぁ! ほんとに痩せたね。」
「死んじゃいますかね。」
「平気、平気。私、死にそうな人ってわかるんだ。」
「えーっ? そうなんですか? やっぱり黒く見えるんですか?」
「う~ん、見えるわけじゃないんだけどね。黒っていうよりも、明るく白っぽい感じがするっていうか?」
言葉ではうまく言い表せないけど、高村光太郎のレモン哀歌にある『かなしく白く明るい死の床』みたいなものが伝わってくるんだ。
「だからね、富山さんはまだ死なないよ、大丈夫。」

いや、ほんとは全部の人の死期がわかるわけではないが、まあ、ここはプラシーボ効果をねらってはったりをかましておく。
嘘から出た誠ってことわざもあることだし、たとえ死ぬことがわかったとしても、私は誰かに対して「あんたは死ぬ」なんて予言したりしない。
本当の本当には未来は変えられるからね。

地方から出てきて、いまだひとり暮らしの富山さん。
「ねえ、こっちに友達とかいるの?」
「いませんよ。というか、もともと友達いないんですよね。」
「やっぱり。」

一人だからといって寂しがるわけでもない自立した静けさが富山さんにはある。
そこが楽なんだよね。
積極的にはなにかとつながろうとせず、かといってそれについて自己否定もしないから、すごく素直に彼は彼なのだ。
だけど普段元気に生活してるときはそれでいいけど、なにかあったとき、人は絶対に誰かの手をわずらわせないといけなくなるだろうから、ついおせっかいな私は
「あのさ、もしも倒れるとか死にそうとかいう時は、私が予約した日にしなよ。そしたら面倒にならないように、全部手配してあげるからさ。」
と、言ってみた。

「とりあえず、田舎に家族とかいるんでしょ?」
「ええ、まあ。」
「じゃ、遺体の始末はその人たちがやってくれるから、救急車とか、警察とかの対応は任せてよ。」
こんな縁起でもない話をすると、怒る人も多いのだが、富山さんはちゃんと自分の死後についても想定していて、フラットに聞いている。
「ほんと面倒だから、死ぬときは消えてなくなりたいですよ。」
「ああ、きれいに生きてるとね、七色の光になれるらしいよ。」
「マジですか?」
「うん。私、チベット密教が好きでそういう本読んでるんだけど、別に僧侶とかじゃない普通のおっさんでも、真摯に自分の人生を生き切ると七色の光になって、後に残るのは髪の毛と爪だけなんだって。」
「へぇーー、それ、いいですね。」
「たださ、7日間くらい、遺体を静かなところにほっとかなくちゃいけないらしいよ。」
「7日間も発見されないのは難しいですよね。」
「店の入口に『旅行中です』とか張り紙して、奥の部屋で死んじゃえば(あくまでも自然死の話。自殺はダメだよ)。」
「そうですねぇ。」
「そしたら7日目くらいに私が発見してあげるよ。警察では迷宮入りの事件になるけど、髪の毛と爪をみて『ああ、富山さんは七色の光になったのね、よかった』って、空を仰いでお祈りするよ。」
「いいなぁ、それ美しいなぁ。」
普通、ここでいいなぁって言わないよ、と話を振っておいて思うが、なんか富山さんならほんとにそんな風に静かに死んで、七色の光になれそうだ。

「いや、でも長生きしてよ。私、ここがなくなったら、すごく困るから。」
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by linket | 2007-04-26 08:06 | ●メメントモリ(死に支度)

「死ぬまで生きろよ!」

c0007384_1534344.jpg「死ぬまで生きろよ!」というのは、死んだ父の口癖だった。
酔っぱらって上機嫌の父が、仲間と別れるときによく口にしていた。
子供だった私は「死ぬまで生きるのは当たり前じゃない」と、冷めた目で見ていたのだが、今になると、もっと深い意味があったんだろうなと思う。
戦時中に満州に渡り、現地で召集されたのち終戦を迎え、シベリアに抑留されていた父にとって、死は身近な存在だったはずだ。
特に捕虜として抑留されていた三年あまりの日々は、帰郷のあてもなく、同胞達が次々と死んでいく絶望的な状況が、どんなに父の死生観を深いものにしたか、平和な時代に育った私には想像すらできない。

私なんて、鬱になったときに平気で『死ぬまで生きる』ことを投げ出してしまおうとしたこともあったわけで、あのとき父が生きていたら、きっと拳のひとつやふたつ、飛んできたに違いない。
それでもね、経験していないことはある程度の想像しかできないわけで、私には父の戦争体験に本当の意味で共感を持つことはできないし、豊かな生活をしていながら死にたくなった私の気持ちを、父に共感してもらうことも多分無理なんだろう。

ところで、先日、てっちりを食べにとらふぐ亭というお店に連れて行ってもらった。
フグを専門店で食べるのは生まれて初めてなので、同席の人からいろいろとうんちくなど聞きながら、初心者女子の私はひたすらに灰汁をすくう。
無の境地くらいに一心不乱に灰汁をすくっていたら、なんだか父の気配をチラチラと感じるのだ。

父が死んでからも、私は彼の気配を身近に感じてきたのだが、去年の2月くらいにそれがはるか彼方に遠ざかってしまっていた。
没後20数年経って、ようやく成仏してくれたか・・・と、安心しつつも少し淋しく思っていたのだけれど、フグに釣られて出てきたらしい。
フグ好きだったのかな?
貧乏だったし、海なし県の群馬だったから、家族でフグを食べたことなんて一度もないし、父が「フグはうまいぞ」なんて言ったことを聞いた記憶もないのだが、なんだかやたらと嬉しそうな父の気配が伝わってきて、灰汁をすくいながら思わず口元が笑ってしまう。

となりのテーブルでは10数人のサラリーマン達が新年会で盛り上がっており、酒に酔った何人かが、大きな声でしゃべり続けている。
そしてそのうちの一人が、

「死ぬまで生きろよ!」

と、言ったのだ。
やだなぁ、涙出ちゃうじゃないか!
フグ食べながら、泣くなんてかっこ悪いから、泣くの我慢しなきゃいけないじゃん。
お父さん、私はもう生きることを諦めたりしないよ。
ようやく自分で『死ぬまで生きる』ことの大切さがわかったからね。

とりあえずは、ありがたく目の前のフグを食す。
うまいもん食べられるのも、生きてるうちだものね。
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by linket | 2007-01-07 15:16 | ●平熱スピリチュアル

手放すことが自由への道

c0007384_1331566.jpg人生で、一番気合いを入れて読み、何度も何度も読み返している本・・・つまり私のバイブルとも言える本・・・は、『チベットの生と死の書』(ソギャル・リンポチェ著:講談社)である。

親戚に僧侶がいた関係で実家には仏教の本が結構あったので読んでいたし、子ども達がキリスト教系の幼稚園だったので聖書も読んだ。
そのほかにもニューエイジ系とか、スピリチュアル系とか、自己啓発とか、とにかく悩み苦しむ自分を救ってくれそうな本は、手当たり次第に読んだのだ。

そのどれもが、そこそこもっともなことを言って私を惹きつけ、そのどれもが『でも私だけを絶対的に信じないなら救われることはないよ』と、私を突き放した。

イヤなんだよ。
なにか一つに従属するの。
世の中は善いも悪いもゴチャゴチャで、でも私はそのゴチャゴチャな世の中が大好きなんだ。
善い人だけの世界なんて絶対つまんなくって飽きちゃうし、だいたい『善い』だけの人なんているわけがない。
ある人からみたら『善き人』であっても、違う人からみたら『偽善者』になる。
人や社会の都合に合わせて善いも悪いも変わるのに、
『これが正しい生き方です。これしか真実はありません』
なんて言う言葉を、鵜呑みにするなんてできないよ。

最終的な選択は、自分の感覚を信じないと私はダメなんだ。
そうでないと、そのときはなんとなく丸く治まったように見えても、先々、絶対にうまいこと行かなくなる。
それで表面的に失敗しようが、わがままだと言われようが、誰かを傷つけようが(本当の意味で誰かが傷つくことはないんだけど)、私は誰かのいいなりには絶対になりたくない。
もちろん、人の話に耳を傾ける謙虚さはいつでも忘れないようにした上でのことだけれど。

この本は、仏教的な教えを基本としていながら、『よりよい死を迎えるためにいかに生きるか』の実践的な方法が様々な切り口から丁寧に提示される。
それでいて、『必ずこの形式でなければならない』という偏狭さがない。
「こうやるといいんだけど、環境や考え方で別のやり方の方がやりやすければそっちを試してごらん。」
という懐の深さが、たった一つのものに狂信してたまるかと疑心暗鬼になる私を安心させてくれる。
629頁にも及ぶ膨大なノウハウの中から、私が実践していることはほんのわずかなことでしかないが、
「それでもいいよ、できることからやってごらん。あきらめないでいれば、きっと自分自身の変容はやってくるよ」
というおおらかな語り口は、ゆるぎのない灯台の灯火でありながら、決して私の人生の選択を縛らない。

行き詰まった時には、この本をパッと開く。
今日私が引き当てた頁には

『手放すことが自由への道』

と、書かれていた。
身に染みる。
一番自分が欲しいものを手放さなければ、私は自由になれない。
そして、それをしなければ失うのだ。
『失いたくなければ、手放さないことだ』と、信じてきた私にとって、手放すことはとても怖いことだ。
でも手放さなければ失うだろうことも、経験値から導けばすでに察しはつく。

手放せるだろうか?
こんなにも執着して手に入れたいと渇望してきたことを、手放すことなどできるだろうか?
でも、できるようになったら楽だろうなというわずかな安堵と、手放した方がうまくいくんだよというかすかな希望が、明日の私を変えていってくれる気はしている。

不安という薄紙を一枚一枚はぐために、頁を一枚一枚めくる。
ほんの少しでも、明日の自分の方がましでありますように。
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by linket | 2006-10-08 13:33 | ●メメントモリ(死に支度)

この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため


by hami