Frosty Night(逝くなら霜夜に!)

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この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため

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父とオパール

今日、突然、亡くなった父が私の中に入ってきた。
いや、なにを言っているのか?
でも、そうとしか言いようがない。

身も心もほどけてくつろいでいたら、父の笑顔が浮かび、
『もういいよ』
と、いうようなニュアンスのメッセージを送ってきた。
なにがいいのか?
こういうメッセージは、言語に頼らないものなので、なんとも理解や説明が難しい。
ずっと後になって、
「ああ、そういうことだったのかな?」
と、思うことも多いし、それだって、「かな?」という程度で、絶対的な納得にはならないのだけど。

とにかく、父は「もういいよ」と笑って、私の胸に入ってきた。
父が亡くなって25年。
父の存在を感じるときは、いつも私の外側(特に右斜め上あたり)だった。
姿や光が見えるわけではないのだけど、なんとなくそのあたりにいる気配だったのに、今日は私の中にストンと入ってきて、カチンとはまった。

私は特に宗教を持っているわけではないが、魂の存在は信じているし、死んだら終わりとも思っていない。
それは肌感覚として、そういう風に思うほうが、自分にとっては自然だからだ。
だからと言って、「私は死んでなんかいません。千の風になって、いつまでもあなたを見守っています」というのは、なんだか薄気味悪くて大嫌いだ。
父が風になって会いにきたくらいに思っているうちはよかったが、あの歌が大ブレイクするとともに、成仏できないこの世に未練たらたらの、死ぬのが怖い幽霊たちが、千の風にぎゅうぎゅうに紛れ込んで吹きすさんでいる様を想像してしまい、風が吹くとうんざりする。

あんたは、死んだの。
名残惜しいこと、心残りなことあるだろうけどさ、サッサと成仏せいよ!
と、風に向かって心の中で祈る(というか、脅すというか、怒鳴るというか・・・)。

この世とあの世は同じ世界ではないと思う。
そしてあの世にいる父の存在(魂)というのは、独立したものではないような気がする。
明治44年~昭和57年まで生きた父の人生は、父の魂の経験の一部分であってすべてではない。
だから、私は父の魂の全部を知っているわけではない。
今回、私の中に入ってきたのは、父の魂の全部ではなくて、父の魂の経験の一部として、私が知っているいわゆる「私の父の人生」の結晶のようなものだ。
私の中に、父の今回の人生のデータが入った記録媒体が入ってきて、私のハードにバックアップしたとでも言おうか。

そして、その記録媒体は、なぜかオパールなのだった。
ダイヤモンドでもエメラルドでもなく、オパールなのだ。

これは前にも書いたけど、私にはオパールのイメージがあるって言われたことがあって、あまりピンとしなかったのだけど、オパールは父のエッセンスだったのだと思い当たる。
父は私に、オパールの記録を残して、「私の父だったときに生きた記憶」を失ったのだろう。
次に生まれる準備のために。

私が死者を忘れないようにしていても、死者は生きていた人生を忘れてしまうんだ。
それでいいんだなぁと思うが、ちょっと淋しくて、やっぱり泣いてしまうんだけど。
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by linket | 2009-01-26 18:37 | ●平熱スピリチュアル | Comments(5)
c0007384_15352579.jpg先日、ジャスパー様から教えていただいた北山耕平さんのブログ『Native Heart』に、
『(ハワイィの言葉で)「マカ」は「眼」を意味し、そのまま「宇宙の眼であるプレアデス星団〔和名「すばる」〕をあらわします。』
という記述があった。

そうだったのか!

以前、生命レベルが限りなく下がってしまったときに、夢枕に『マカ王』が立って、私にパワーを与えてくれたことがあった。

マカ王ってなんだよ!なのだが、なぜか私は夢の中で『あっ、マカ王だ!』って思ったんだよね。
腰ミノつけて、ハワイィというか、ポリネシアンなムード満載で、太鼓の音とともに、ジャカジャカやってきて、私にパワーをくれたのだ。
こんなあつかましいパワーもらっても困るよ、、、、というか、もう、あきらめてもいいんだけど。。。と逃げ腰の私に構わず、マカ王は私にミラクルパワーを押しつけて、賑やかに消え去っていったのだった。
目が覚めたら、確かに少し(劇的ではないところが物質的星であるこの地球の掟)、元気になっていたような。。。。

マカ王ってなんだろう?ってずっと思っていた。
たまたま、そのとき飲んでいたサプリメントが『マカ』(原産地南米ペルーの天然アブラナ科植物。滋養強壮や疲労回復に効果があると言われている)だったので、その王様だとつじつまあわせしておいたのだが、そうか、プレアデス星団の王様だったのか!
実は漠然と、サプリメントのマカはハワイ原産と思い込んでいたのも、どこかで『マカ』がハワイィの言葉だって知っていたからなのかもしれない。

根拠もなにもない話をするが、私は遠い昔、プレアデス星団から、この地球にやってきた霊団の一味なのだった。
ちなみに、プレアデスからやってきた人は、目がパッチリしているのが特徴らしいよ!

そして、プレアデス星人と縁が深いのが、モルダバイトという石。
最初にプレアデス星人は、流星群になって地球にやってきたような記憶がある。
これを書くために、モルダバイトをググッていたら、モルダバイトのメッセージは、

「あなたは一人ぼっちの存在ではない」

なんだって。
あー、確かに、マカ王は、『ほっといてよ』って、ひねている私を、決してひとりぼっちにはしなかったわ。

まあ、そんなわけで、社交的で、おせっかい焼きで、面倒見がいいのがプレアデス星人の特徴なので、ルーツが他の星人の人とも仲良くするのが得意なんだそうだ。

今後ともよろしゅう!
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by linket | 2007-10-30 15:28 | ●平熱スピリチュアル | Comments(6)

この胸に抱えた小さな星

c0007384_925388.jpg袋小路にはまり込んでしまったあなたは
「なんでこうなるんだ、どうしたらいいんだ」
と、繰り返す

ああ、こんな時
漆黒の闇にピカピカと輝く
満天の星空があったらいいのに!

人間の悩みなんてちっぽけだって
自分の限界の底蓋をスコンと外してくれるような
大いなる力を感じられればいいのに!

いくら高層ビルからの夜景がすばらしくったって
そこに人間の悩みのちっぽけさをみたりするだろうか?
都会の薄明るい闇は
宇宙の無限につながってはいないのだ

おっと、ないものを欲しがっても仕方ない
それなら私が
あのダイナミックな底力を知っている私が
真実を照らそう

理由なんかじゃなく
結果なんかじゃなく
条件なんかじゃなく
統計なんかじゃなく

なにがあろうとおおむねのところ
人生は大丈夫なようになっているんだよ

そこを信用すると
この胸に抱えた小さな星がピカリと光る
それぞれがそれぞれの星を光らせて
いつか地上を
満天の星の世界にしよう
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by linket | 2007-08-01 07:29 | ●message for you | Comments(0)
c0007384_15113235.jpgよく遊びに行かせていただいているサイトで話題になっていたが、私のところにも『神の目』のチェーンメールが届いた。

えっと、私にメールをくれた人も、この記事を読むかもしれないから断っておくけど、決してあなたを責めたいわけではないから。
ただ、こういうインチキな話が、悪気はないからといって広まってしまうことは怖いと思っているので、私が調べた事実と、感じたことを書きたいだけなので悪しからず。。。。

内容は以下の通り。






-------------------------------------------------------------------------
「すごい写真が来ました!!
from NASA Hubbell Telescope. Make 7 wishes.
ナサのハブル望遠鏡撮影。
「7つの願いをこめて」
「この写真はナサの天体望遠鏡で撮影されたもので、3000年に一度と言われている大
変珍しい現象です。
これは「神の目」と呼ばれています。
この目を見つめる者には多くの奇跡が訪れるといわれており、見るものがこれを信じ
る信じないは関係なく、7つの願いが聞き届けられると言われています。
とにかく試してみて、どのような変化があるか、見てみてください。
この知らせを、「そのかたの願いが叶いますように」と思いを込めて、たくさんの方
にシェアして下さい☆自分だけで独り占めはしないこと。

今日から七日までが最も強いパワーだそうです。」

-------------------------------------------------------------------


なぜか、前述のサイトで紹介されているのとは若干の違いがあったので笑えた。
そちらでは、18人にメールせよ!と書かれていたんだよね。
18人にメールしないと願いが叶わないんだってさ。
叶わなくて結構だ! だいたい18人も友人がいないのさ!
それに比べたら『たくさんの人にシェアせよ』という方が、やや良心的か?

それにしたって、7つの願い事が叶うって、それは2007年7月7日に掛けたわけですか?
ラッキー7がゾロ目なら、なんかいいことあるだろう、と思うのは別に構わないし、この写真に願掛けしたらうっかり願いが7つも叶っちゃった人もいるかもしれない。
だからといって『これを信じる信じないは関係なく、7つの願いが聞き届けられる』ってなに?

 神様、私、7つも願い事が思い浮かびません。
 だから私の分の7つのお願いは、誰か14個のお願いを持っている人にシェアします。


『求めよ! さらば与えられん!』というが、それはなんとなく薄ぼんやりお願い事をしたら、神様が叶えてくれるなんてもんではなくて、『人事を尽くして天命を待つ』ということだろう。
努力もせずに叶った願いなど、7つ叶おうが、777万叶おうが、私はいらないんだよ。

そもそも3,000年に一度っていつなのか?
私は天体通ではないので、やや詳しい息子に聞いたら、学研の図鑑『宇宙』を引っ張り出してきて、この写真はみずがめ座にあるらせん状星雲『NGC7293』だと教えてくれた。
はい、2001年発行のこの図鑑にも、しっかり神の目の写真載ってまっせ!(別の写真だけど)

この写真の出所のハッブルサイトに行ったら英文だったので、翻訳かけてみる。
とぎれとぎれの日本語訳で合成写真という単語が腑に落ちず、さらに調べたら株式会社アストロアーツのサイトで詳しく説明してくれていた。
写真が撮られたのは2002年だというじゃないですか?
で、いったいいつが3,000年に一度と言われている大変珍しい現象なのか?

確かに美しい写真だと思う。
美しいものは、美しいだけでいいじゃないか。
本当に美しいものには、神が宿っているように感じるものだが、だからっていちいち願いを叶えてもらおうとするなよ、さもしいだろ?
美しいものを見たら、自分の中がきれいになるハズなのに、いちいち願掛けするなんて、卑しいだろ?

まあね、最初にこのチェーンメールを作成した人は、友人をちょっと担ぐぐらいの気持ちで、まさかこんな騒ぎになって、私ごときにブログでインチキ呼ばわりされるのは不本意かもしれない。
でも、目に見えない世界なのをいいことに、お手軽な癒しやスピリチュアルが横行しているのが私には耐えられないんだよ。
みんな、ちゃんと『自分の目』で見て、頭で考えて、心で感じてくれよ。
自戒を込めて書く。
だれかの声に惑わされるな。
それがどんなに大きな声でも、幸せそうでも、みんなが信じていても、「自分にはそれが必要か?」ということを、自分の胸に聞いてみろ。

ちなみに『猫の目』もあります。
この写真に願いを掛けると、きまぐれに叶うらしいよ(嘘
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by linket | 2007-07-15 15:11 | ●平熱スピリチュアル | Comments(6)

心配はいらない

c0007384_17575737.jpg自分が重くてしんどくて辛くて
誰かに恨みごとなんか言いたくなるとき

私は離れているのだ
忘れているのだ

近くに行こう
思い出そう

なにも心配なんかしなくていいんだ
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by linket | 2007-07-11 17:57 | ●無駄人間になってやる | Comments(2)

呪いよりも祈りを

c0007384_2353672.jpgわけもわからず、ひどい目に遭った一週間だった。
探られたり、試されたり、泣かされたり、脅されたり、(心を)踏んづけられたりで、ヘトヘトになった。
前の私だったら、折れていたと思う。

でも不思議なことに、こんな状況で世界が輝いて見えるのだ(精神異常かもしれないが)。

人生で最悪のことがあった同じ日の夕方、きれいなきれいな夕焼けが眼前に広がった。
曇っているのに、雲の切れ目からのぞいた太陽が空を金色に染める。
雨が少しだけ降っていた。
車の運転中だから振り返れないけれど、知ってるよ。
私の背後には、虹も出ているんでしょう!?
ありがとう。
どっちを世界の現実として受け取るかと問われたら、私は迷わず美しい景色を信じます。

最初は私を落としたヤツをこてんぱんに呪おうと思ったのだが、いろんな形でいろんな人(や存在)が愛を送ってくれるから、ろくでなしを呪うなんてろくでもなく思えてきた。

呪いよりも祈りを

人生ってまんざらじゃないと思うのは、欲しいバッグを手に入れたときなんかではなくて(いや、まあ、それはそれで人生のささやかな楽しみではあるが)、こんなふうに誰彼なく感謝したくなる夜なのだった。

先のことはわからないけれど、運があれば道は開ける。

きっと。
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by linket | 2007-07-03 23:53 | ●平熱スピリチュアル | Comments(5)
c0007384_17464767.jpg父が亡くなったのは、私が高校二年の冬だった。
父と過ごした時間よりも、父がいなくなってからの時間の方がはるかに長くなってしまった。
それでも、父の亡骸が家に戻ってきた時のことは、今でもはっきりと覚えている。
眠っているような穏やかな顔で横たわる老いた男は、形こそ父そっくりではあったが、もう私が知っている父ではなかった。

何かが足りない。

体のぬくもりとか、聞こえない息づかいとかだけではなく、もっと決定的に父を父として成す一部分が欠けているという感覚。
ああ、これこそ人が死ぬということなんだと、私は父の冷たい足先をさすりながら思い知った。

父は宗教的教義からではなく、哲学的見地から、『人間は肉体と魂と知恵でできている』と、よく言っていた。
常日頃、父がそう話してくれていてよかったと思う。
父の体がなくなっても、どこかで魂は元気にしているのだともしも思えなかったら、父の体が焼かれることなど耐えられなかったに違いない。
国や宗教によっては死者への冒涜とさえ言われる火葬が、日本ではこれほどまでに広く認知されている。
それは、死んだら魂は天国に行って幸せに暮らすのだという世界観が、私たち日本人の心の奥に、深く根づいているからかもしれない。

確かに、魂や天国があるのかは証明できない。
でも科学的に証明された『事実』だけが、人を幸せにする『真実』というわけではないだろう。
大きくなる過程でサンタクロースは本当にはいないんだと知っても、プレゼントが届くのを心待ちにした思い出は消えることがない。
それと同じで、父の魂は天国で私たちを見守ってくれていると私は信じたい。
たとえそれがファンタジーだとしても、父がときおりは風になり、花になり逢いに来てくれるのだと。

実際父のことを思い出すと、私は自分の右上のあたりに父の存在を感じる。
それは私が捏造したものかもしれないけれど、父の笑顔をエネルギー化したようなあたたかい何かが、降りそそいでくるような気がして仕方ない。
不思議なものだ。
父が生きていたときはケンカばかりしていたし、反抗期真っ盛りだった私は、ほとんど口もきかなかった。
それが、形ある父を失ってからの方が、私は一方的に父に話しかけているし、夢に出てくる父はいつも穏やかに微笑んで、黙ってあたたかい手で私を励ましてくれたりするのだ。

 愛する人を亡くすということは、もういままでのような関わりができなくなるということだ。
一緒にご飯を食べたり、テレビを見たり、笑ったり、ケンカしたり、そういう平凡な繰り返しが、ある日突然リピートできなくなる。
それはとても辛く悲しい体験だ。
決して幸せとは言い難い感情だろう。
けれど、愛する人との関わりは死んだら終わりというわけではなさそうだ。
そのことを、私は父の死によって人より先に知ることができた。
だから愛する人といつか別れなければならないことを、私はあまり不安に思ってはいない。
別れは私だけに訪れる不幸ではなくて、誰にでもやってくる変化の扉なのだ。

その前に立つ日がまたやってきたら、怖れずに扉を開けよう。
泣きながら開けるその扉は、結局は幸せにつなげることができると私は知っているから。
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by linket | 2007-04-29 14:11 | ●メメントモリ(死に支度) | Comments(2)

「死ぬまで生きろよ!」

c0007384_1534344.jpg「死ぬまで生きろよ!」というのは、死んだ父の口癖だった。
酔っぱらって上機嫌の父が、仲間と別れるときによく口にしていた。
子供だった私は「死ぬまで生きるのは当たり前じゃない」と、冷めた目で見ていたのだが、今になると、もっと深い意味があったんだろうなと思う。
戦時中に満州に渡り、現地で召集されたのち終戦を迎え、シベリアに抑留されていた父にとって、死は身近な存在だったはずだ。
特に捕虜として抑留されていた三年あまりの日々は、帰郷のあてもなく、同胞達が次々と死んでいく絶望的な状況が、どんなに父の死生観を深いものにしたか、平和な時代に育った私には想像すらできない。

私なんて、鬱になったときに平気で『死ぬまで生きる』ことを投げ出してしまおうとしたこともあったわけで、あのとき父が生きていたら、きっと拳のひとつやふたつ、飛んできたに違いない。
それでもね、経験していないことはある程度の想像しかできないわけで、私には父の戦争体験に本当の意味で共感を持つことはできないし、豊かな生活をしていながら死にたくなった私の気持ちを、父に共感してもらうことも多分無理なんだろう。

ところで、先日、てっちりを食べにとらふぐ亭というお店に連れて行ってもらった。
フグを専門店で食べるのは生まれて初めてなので、同席の人からいろいろとうんちくなど聞きながら、初心者女子の私はひたすらに灰汁をすくう。
無の境地くらいに一心不乱に灰汁をすくっていたら、なんだか父の気配をチラチラと感じるのだ。

父が死んでからも、私は彼の気配を身近に感じてきたのだが、去年の2月くらいにそれがはるか彼方に遠ざかってしまっていた。
没後20数年経って、ようやく成仏してくれたか・・・と、安心しつつも少し淋しく思っていたのだけれど、フグに釣られて出てきたらしい。
フグ好きだったのかな?
貧乏だったし、海なし県の群馬だったから、家族でフグを食べたことなんて一度もないし、父が「フグはうまいぞ」なんて言ったことを聞いた記憶もないのだが、なんだかやたらと嬉しそうな父の気配が伝わってきて、灰汁をすくいながら思わず口元が笑ってしまう。

となりのテーブルでは10数人のサラリーマン達が新年会で盛り上がっており、酒に酔った何人かが、大きな声でしゃべり続けている。
そしてそのうちの一人が、

「死ぬまで生きろよ!」

と、言ったのだ。
やだなぁ、涙出ちゃうじゃないか!
フグ食べながら、泣くなんてかっこ悪いから、泣くの我慢しなきゃいけないじゃん。
お父さん、私はもう生きることを諦めたりしないよ。
ようやく自分で『死ぬまで生きる』ことの大切さがわかったからね。

とりあえずは、ありがたく目の前のフグを食す。
うまいもん食べられるのも、生きてるうちだものね。
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by linket | 2007-01-07 15:16 | ●平熱スピリチュアル | Comments(2)

感謝は人生の設計図

c0007384_7591045.jpg『なにごとにも感謝する』というのが、胡散臭く思えてなかなかできない。
なんかさ、『感謝の言葉を口にしていると、結局は自分に返ってくるから感謝する』的なところが、打算ぽくてさー、イヤだったんだよね。
それに目の前で
「お前なんか訳もなく大っきらいだ!」
と言った人に、感謝するなんてできない。
まあ、ここまでわかりやすくないにしても、相手によかれと思って行動したことが
「余分なことしやがって!」
と否定されて、愕然としたりするときに、「ああ、言ってくれてありがとう」なんて簡単に思えない。
でも自分の思い通りのことを言ってくれなかった相手を責めたところで、結局は自分が辛くて重くてしんどくなるのも、もういいかげんわかっている。

自分に自信がないから、てっとりばやく他人をなんとかしようとしがちなのだが、結局はそれって他人に依存したり、束縛したりしてるってことだ。
なるようになると信用できない。
不安な過去の事例を何百も並べて、「どうせ悪い方に向かうに決まっている」と思う方が安心な自分がいる。

ああ、やだ、本当にイヤだ。
と思っていたら、夢の中で

『感謝は人生の設計図』という言葉をもらった。

浮き世に持ってくるうちに、言葉の壁でドンピシャ感が薄れてしまったが、感謝している(つまりは自分の人生はなるようになると信用している)と、人生の設計図がどんどんはっきりと見えてくるので、ますますドーンと構えていられるよ、というようなメッセージだった。
ほんと、言葉にするのは不自由だな。
もっと奥深いメッセージだったのに、うまく言葉にできない。

自分が得をしたいからなにかに感謝するんではなくて、人生は信頼するに値すると知っているから感謝すればいいのか。
わかったような、わからないような。
でもこれからはできるだけ感謝するようにする。
ありがとうって、なんに対しても思えたら美しいだろうし。
まずは形から入るのも、パラダイムシフトのスイッチを押すのには有効かもしれない。
とにかくなんでもいいから、形を変えていきたいので、できそうなことはなんでも試してみよう。
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by linket | 2006-11-21 08:12 | ●平熱スピリチュアル | Comments(7)
c0007384_11211661.jpg6歳年下の友達と買い物に行ったら、店員さんにまた親子と間違われた。
単品でいれば実年齢より若くみられることが多い私なのに、彼女と一緒だとなぜか母親役。

「ちなみに、彼女が私の娘だとして、いくつくらいだと思ったんですか?」
と前から聞いてみたかったことを店員さんに尋ねる。
「ええと、、、22歳くらい?」
「で、私はいくつだと思ったんですか?」
「・・・・」
実年齢41歳としても、19歳のときの子供。
もしも私が37歳くらいに見えていたらとしたら、15歳のとき産んでなくちゃいけないじゃん。
まあ、絶対にないとは言わないけど、金八先生じゃないんだから(古すぎ?)、もっと考えてからものを言おうね。

それにしても、顔は全然似ていないのに、なぜかいつも親子や姉妹に見られる二人。
似ているところといえば、彼女が『クソ意地』が悪くて、私が『底意地』が悪いところくらい。
どっちがましかは、二人の間で結論が出ていないが。

もしも生まれ変わりがあるのなら、きっと彼女と親子とだったときがあるんだろうな、と思う。
それもメチャメチャ仲の悪い・・・というか、お互い譲らなくて、落としどころがない関係。
それでも今生、まためぐりあって、仲良くなるチャンスがあったことに感謝します。

生まれ変わりなんていうといきなり胡散臭いけどさ、私はあると思う。
思うというか、生まれ変わりがあるって設定のほうが、この世のいろいろなことが腑に落ちる。
私はスピリチュアルなことに興味があるが、かといって普通の人が見えない世界が見えるといって脅したり、金を集めたりする人は絶対に信用しないし、たとえ私の知らないことを知っているからと言って他人の言うことの信者になってしまわないように、いつも慎重であるよう気をつけている。

そういう態度のうえで薦めるのだが、もしも生まれ変わりについて興味があったら、まずは『魂の伴侶』を読んでみてください。
この本には、アメリカの精神科医であるブライアン・L・ワイス氏が、前世療法で癒した患者たちの実話を収めている。
ワイス氏の語り口はとても冷静で、読者に対しても、常に自分が納得しないことには疑り深くあるべきだと説く。
この本は、「なにかわけのわからない不思議な話」ではなくて、「アメリカのある病院での臨床ルポルタージュ」なのだ。
ワイス氏は他にも前世療法の本を出しているのだけれど、私はこの『魂の伴侶』が一番好き。
生まれ変わりなんて信じない人がフィクションとして読んだとしても、特上のラブロマンスとして感動すること間違いなしの太鼓判です!

生まれ変わりとか信じてなくても、
「あー、今度生まれ変わったら、美人になりたいなぁ!」
とか言ったこと、あなたにもあるでしょ?
だからね、生まれ変わりがあるのなら、いま生きているこの設定も
「あー、こんな風に生まれたいな」
と思った結果だと思うのよ。
表面的にはメチャメチャで、いやなことも多かったりするけれど、ほんの少しの注意深さと、もう少しの忍耐力があれば、きっと人生はもっともっと意味があるものになると思う。

私は今生、もう紫陽花みたいな悲しい想いはしたくないと思って生まれてきたの。
紫陽花は悲しい花だと思っていたけれど、自分の悲しい思い出にかぶせていただけなのね。
紫陽花はきれいな花。
ただ、そう思えるようになって嬉しいです。
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by linket | 2006-06-09 11:21 | ●平熱スピリチュアル | Comments(4)

この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため


by hami