Frosty Night(逝くなら霜夜に!)

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この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため

カテゴリ:●母と仲良くしたいけど( 11 )

父も母もそれぞれ8人だか9人だかの兄弟がいるので、私にはいとこが50人前後いるらしい。
大人数すぎて全員は把握しておらず、一番年上はたぶん50歳くらい違うと思う(ちなみに私が最年少)。

高校生のとき、学校帰りのショッピングセンターで、「こんにちは」とおじさんに声を掛けられたことがあった。
父の実家に近かったこともあり、この親しみある話しっぷりは、親戚の誰かに違いないと思いこみ、適当に話を合わせていたら、「どっかホテル行かない?」というナンパだったという逸話もあり。

私の兄弟は4人で、いまどき珍しく全員が結婚し子供をもうけたもので、私の母には10人の孫がいる。
大繁栄である。

c0007384_921351.jpg大繁栄の一族が母の喜寿を祝うために集った際の写真を、先日の母の日に本(photobackの文庫本を利用)にして、母にプレゼントした。
母はたいそう喜んでくれて、「こんなのをもらったんだって、みんなに自慢できる」とまで言ううかれっぷり。
こんな(一見)幸せそうな一族の写真集見せびらかしたら、反発買うことだってあるんじゃないかという娘の危惧は、胸にしまった。

これは母の夢だったのだ。

子供を産み育て、繁栄する。
それが苦労の多かった母を支えた杖であり、折れそうになる心を奮い立たせる希望だったのだ。
そして母は、夢を叶えた。
一つのことに邁進し、思いを具現化する。
母も魔女だったのだ、と思い知る。

『血は水よりも濃い』とか言って、やたらと血がつながっていることに固執する人もいるが、私には特にそういう感情はない。
これだけ血のつながった人間が多いと、同じような遺伝子を持ちながらも、気の合うやつもいれば気の合わないやつもおり、それはもう、人が集まりゃどこでも一緒な雑多な人間模様がある。
もう少し少なければ、逆に結束を固めざるを得なかったり、気の合わない者通しが激しく対立したりするのかもしれないが、こんだけ大所帯だともめてる人間がいても直接対決する機会がほとんどない。

母に対して、複雑な心境があった時期もあったが、そういうときも大人数がわんさか集い、ワーワーやっているうちに、どうでもよくなってしまった。
今は、できるだけみんなとつつがなく、仲良く、末永くつきあっていきたいと思うようになり、ああ、自分も大人になったというか、歳をとったのだなぁと思う。
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by linket | 2009-05-21 16:45 | ●母と仲良くしたいけど | Comments(10)
c0007384_172124.jpg天童荒太さんの『包帯クラブ』を読んであれこれ考えていたら、思い出したことがある。
小学校低学年のころだったと思うが、ミカンを切ろうとして、包丁で左のひとさし指を切ってしまったことがあったのだ。
結構ザックリと切ってしまい、血がポタポタと流れた。
田舎の広い家の中には私一人で、少し離れたところにある牛舎で母が仕事をしていた。

私は一人で救急箱を出してきて、傷の手当をしようとした。
傷口を押さえながら、なんとか空いている指で治療をしようとしたが、血は全然止まらずに、ポタポタと指から流れ落ちる。
プラスチック製の救急箱は、蓋の部分の真ん中が凹んで成型されていて、そこをつまんで蓋を外す形状だった。
その凹みの部分に、私の血がどんどん溜まってゆく。
私は不安でたまらなくなり、泣きながら大声で母を呼んだ。

外は激しい雨。
たぶん、私の声は母には届かなかったはずだ。
でも、母がなにかの拍子に家に戻ってきて、救急箱の前で泣きじゃくっている私を救ってくれた。
その後どうなったか覚えていないが、母の治療で血も止まり、病院にも行かず、そのうち自然に治ったのだろう。

あの切り傷は、身体を切った切り傷だから、母も気づいて、早急な手当てをしてくれた。
だから手当てが遅れてばい菌が入って傷が化膿してグチャグチャになって、手を切断しなければならないような事態にはならずに済んだのだ。

それに比べて、心の傷は見えない。
そして同じ負荷がかかっても、大丈夫な人もいれば、簡単に傷ついてしまう人もいる。
同じ人間でも、前は傷ついてしまったことが大丈夫になったり、逆に、前はなんとも思わなかったことが、あるきっかけで傷つくようになってしまったりってこともあるだろう。

『包帯クラブ』の中に次のようなくだりがある。

「名前がつけられたんだよ、シオ。
 気持ちが沈むようなこと、納得いかないこと、やりきれないって、もやもやしたこと。
 あの気持ちに、包帯を巻くことで、名前がつけられたんだよ<傷>だって。
 傷を受けたら痛いしさ、だれでもへこむの、当たり前だよ。
 でも、傷だからさ、手当てをしたら、いつか治っていくんじゃない」


そもそも、身体の傷だって傷が痛んでいるわけではなくて、痛みを感じているのは脳だ。
『失恋の痛みは骨折の痛みと同程度』という研究発表も前に新聞で読んだことがあったな。
だから心の傷の痛みも身体の傷の痛みと同じ『痛み』として、受け止めるのが自然なんだろう。
自然に受け止めて、流れる血を止める手当てをして、そしてしばらくそっとしておけば、傷は治る。

心が痛む初期のときに必要なのは、『学校カウンセラー』でも『権威ある精神科医』でもなくて、
「チチンプイプイ、痛いの痛いの飛んでいけ!」
って、根拠のないまじないでもいいから、一緒にその傷を共有してくれる人なんだろう。
子供は些細なことで傷つくけど治癒力も高いから、そのくらいの手当てがあればきっと毎日笑って生きていけるんだよ。

リストカットする若い人が多いってことは、この間も書いた。
そういう人は、心が痛くて痛くて、でもそれを誰にもわかってもらえないから、わかりやすい傷を作って、誰か(自分の心の痛みをずっと見ないふりしてきた自分も含めて)に気づいてほしいのかな?
もちろん、理由はひとつじゃないと思うけど。

若い人と言えば、テレビ見てたら細木○子が高校生相手に、「自分を大事にしろ」だの「食べ物は大事。魂(字幕ではこの字じゃない漢字を使っていた)を作るの」だの、「お母さんは、四六時中家にいるべき」だの、もっともらしいことをブッこいていた。
もっともらしいことなのに、なんでこの人の言葉は気持ち悪いんだろう?
100人の高校生の中に一人きれいな女の子がいて、
「でも、女の人が働いて、男の人が家事をやってもいいんじゃないですか?」
って、勇気を奮って言ったら、否定はしないけどそんなもん絶対不幸になる!みたいな言い方をして脅すし。。。。
そんなに自分の言い分を通してもらわないと不安なのだろうか?

細木○子は、私たちの親の世代の代弁者なのだと思う。
だから大っきらい!
うちの母なんかも都合のいいところだけ引っ張ってきて「親は大事にするべき」とかいう言葉に、我が意を得たり!みたいな顔をする。
私が知りたいのは、「正しいのはどの生き方か?」ではなくて、「どうしたら自分を大事にする生き方ができるのか?」ってことだ。

あんたたちは、身体から流れる血を止める手当は教えてくれたけど、心から流れる血を止める手当の方法は教えてくれなかった。
もっともそれも仕方なかったのだって、私はもうわかっている。
だって、知らなかったんでしょう?
生まれた頃から「お国のために死ね」って言われて育ったあなたたちの傷は、相当深いはずなのに、その傷を手当てしてくれる人はいなかった。
だから、「それでも爆弾で死んだ人より幸せ」だと思い込んで、がむしゃらに生きてくるしかなかったんでしょう?

もうやめよう。
見ていて痛々しいんだよ。
あなたは本当は傷だらけで、傷の上から傷が出来て、それが膿んで、グチャグチャになってんだよ。
それでも正しいって言い続けるから、若い子たちが混乱する。
あなたの代わりに心の傷で死ぬこともあるんだって、実証してしまう。

戦いをやめて、お互いの傷に包帯を巻こう。
私から停戦をするから。

というわけで、『母と仲良くしたいけど』のカテゴリは、この辺で一区切りにしたいと思う。
「母と仲良くしたいけどできないよ」というのは、つまり「私のやり方が正しいのに母に伝わらない」ってことだから、結局、私の方も戦いを仕掛けているのと一緒な気がして、負けた気がする。
変なところで、負けず嫌い。

なんか書きたいことがあっちこっちに飛んで、まとまりのない記事になってしまった。
その分、つっこみどころ満載なので、コメントお待ちしております。
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by linket | 2007-09-25 17:13 | ●母と仲良くしたいけど | Comments(6)
c0007384_12351781.jpg母との確執というか、私が一方的に母に対して持っているわだかまりみたいなものを、カテゴリー『母と仲良くしたいけど』に書きなぐってきた。
書き始めた当初は、いままで言えなかったことが書けたカタルシスと、ほんの少しの罪悪感がない交ぜだった。

それでも、この一連の記事にいただいたコメントは、
『母の愛は海よりも深いのに、そんなことを言うなんてひどい!』
という一般的な意見よりも
『私も母に対してそう思っていた。よくぞ言ってくれた!』
という共感の声が圧倒的に多かったので、ああ、自分だけじゃないんだと思って、相当ホッとした。

戦中派の母を持つ娘たちにとって、共通の問題点みたいなものがあるような気もしているが、それを論理的に深く調べるようなことは私にはできないので、あくまでも個人的な話を書き連ねてきたのだけどね。

そんなことをしているうちに、積年の恨みは、なんとなく前より少なくなったような気がする。
母とガチンコの喧嘩をしたわけでもないし、私が心を入れ替えて母の愚行を許したわけでも、母が過去の過ちの数々を土下座して謝ってくれたわけでもないのにだ。

私は母に対して、あらぬ期待をしていたのだと思う。
『理想の娘であれと望むなら、お前も理想の母であれ!』
というような欲望を持っていたのだ。
私は母の言う『よい子』であるために、子供ができるあらん限りの努力をしてきた。
その努力に見合うだけの『いい母』を、求めていたのだろう。

なんでも相談できて、いつもにこやかで、なにがあっても私を守ってくれる母。
それは、目の前の自分の母にはあり得ない特質ばかりであったにもかかわらず、私は本で読んだ「母を訪ねて三千里のマルコの母」とか、テレビで見た「大草原の小さな家のキャロライン母さん」みたいなものを、勝手に母に求め、そして与えられないことに絶望し、母を憎んだ。

だけど、母は母なのだ。
近所でも評判の働き者で、人当たりがよく、忍耐強い反面、身内には感情的に当たり、言わなくてもいいひと言を浴びせかけるような人なのだ。
私とは趣味も、人生に対する考え方もまったく違い、だからと言って悪気はなく、愚直で、単純な人間なのだ。
隣のおばさんだと思えば「いい人」の部類なのに、母というカテゴリーに入れた途端、マイナスポイントレベルがピピピピピィーーー!とつり上がってしまうわけだ。

そんな身勝手な思い込みが、だんだんなえてきた。
敵視していた母が歳とともにパワーダウンしてきているということもあるが、結論を言えば、
「母と仲良くしたいと思っていたけれど、所詮、私と母は仲良くできるような人種同士ではないということに気がついた」
というのが、最近の心境だ。
仲良くはできないが、家族として協力したり、共感したりして、他人よりもちょっとだけ親密につきあえばそれでいいかっ!と思えば気が楽だ。
母は、忙しく貧しい中、三食食べさせてくれ、人並みなものを買い与え、時には勝手に自慢に思ってくれて、こんなひねくれ娘に手をあげることもなかった。
そのことには素直に感謝している。
あれは母なりの愛だったのだろう。
私の愛とは違うけど。

実はしばらく母に会っていない。
この夏は二年ぶりに実家に帰る予定なので、実際会ったら、またその一挙一投足にムカムカするかもしれないけどね。

そしたらまたご報告しますわ。
とりいそぎ、近況のお知らせまで。
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by linket | 2007-07-13 12:35 | ●母と仲良くしたいけど | Comments(5)

若いもんには負けてくれ

今朝、母から電話があった(実はこの間の記事の後、こちらから電話していなかったりする)。
正月用の餅をついたから送るよ、だってさ。
たぶん、キンピラとか煮豆とか紅白なますとかも送られてくるのだろう。
年末年始は実家に帰ろうかとも思ったのだが、30日まで仕事があるのでやめておいた。
正直、休みになったらなにもせずに寝ていたい。

「だったら実家に帰ればゆっくりのんびりダラダラできるんじゃない?」
などと思ったあなた。
チッチッチッ!
実家に行ったら、緊張の連続で、片時も心の休まる暇なんてないんだな、これが。

子供のころから
「本なんか読んでる暇があったら手伝え!」
「テレビなんか見て笑ってるなんていい気なもんだ!」
などと、忙しい母に怒鳴られていたので(いや、もちろんいつもじゃないんだけど、頻繁に)、母の気配を感じると条件反射的に身体が動いて掃除とかをはじめてしまう。
たぶん、昔ほど忙しくも怒りっぽくもなくなった今の母なら、たまに来る娘がダラダラしていても怒らないとは思うが、三つ子の魂百まで。。。というわけで、つい母の顔色を伺ってしまう悲しい習性。
もう41歳だっていうのにさ、なんか情けない話だよ。

そうだな、例えて言うなら子供のときからシルバーシートに座らされ続けている気分だ、とでも言おうか。
以下、妄想。。。。。。。

------電車に乗る母子
母「あんたは椅子に座ってなさい。小さいんだから。でもお行儀よくするのよ。足をブラブラさせてはいけません。靴のまま椅子に乗ってもいけません。まわりの人に迷惑をかけないで。ホラっ、居眠りしたら隣の人にぶつかっちゃうでしょ。きちんとしなさい。お年寄りが来たら席を譲るのよ。」

娘「はい、おかあさん。言うことを聞くから怒らないで。」

母「お母さんは怒ってなんかいませんよ。あんたのことを思って言っているの。いいこと。あんた達は恵まれているのよ。お母さんがあんたくらいのときには、椅子なんかなかったんだから。戦争でいつ死ぬかもわからなかったんだから。平和な世の中に感謝して、一生懸命勉強して、立派な人になりなさい。」

------あれから10年
娘「はい、おかあさん。でも私、もう小さな子供じゃないから、立ったほうがいいんじゃない?」

母「いいのよ、別にお年寄りが目の前に立っているわけじゃないんだから。それより前の席に座っている宏君(仮名)より、勉強を頑張りなさい。これからは女だって社会に参加できるのよ。本当にいい時代になったわね。お母さんたちが味わった女であることの屈辱を、あんた達が頑張って晴らしてね。」

--------さらに10年
娘「はい、おかあさん。でも私、宏君が好きなの。あっちの席に移ってもいい?」

母「なにバカなことを言ってるの。宏なんかより、もっといい条件の男がいるわよ。お母さんが年ごろの頃なんて、結婚相手の男だっていなかった。もしも男が戦争であんなにたくさん死んでなけりゃ、あんたのお父さんとなんか結婚しなかったのに。あんたには、こんな苦労はさせたくない。だから宏はやめなさい。もっと条件のいい人じゃなけりゃ、幸せにはなれないわ。」

--------さらに10年
娘「はい、おかあさん。でも幸せな人生ってどんなの?」

母「さあね、そんなの知らないわ。なにせお母さんの人生は苦労の連続。我慢の一生。いいのよ、私が我慢すればみんな幸せなんだから。」

---------さらに10年
娘「はい、おかあさん。でも私、なんだか辛いの、苦しいの。ちっとも幸せな気分じゃないわ。」

母「なに贅沢を言ってるの!ずっと座って大学まで出してもらって、きれいな洋服を着てチャラチャラ遊んで、いったいなにが不服だっていうの!私なんかもっともっと苦労したのよ。あんたにはそんな思いをさせたくないと思ったから・・・」

---------さらに10年
娘「いいえ、おかあさん。あなたはすっかりお年寄りになったのよ。お年寄りには席を譲らなくちゃ。さあ、どうぞ。」

母「冗談じゃないわ。私を年寄り扱いしないで頂戴。まだまだ若いもんには負けられない。確かに白髪は増えたけど、私の骨年齢はあんたより若いのよ。鍛え方がちがうからね。」

娘「いいえ、おかあさん。私はここから立ち上がって、自分の人生を歩くの。」

母「勝手にしなさい! そんな子に育てた覚えはないわよ、お母さんの言うとおりにしなかったら、どうなるか知らないわよ。」

娘「いいえ、おかあさん、そんな呪いの言葉にはもう縛られない。たとえあなたの夢描いたような人生じゃなくても、私は自分の足で歩きたいの。自分の身体で転んで、自分の力で立ち上がりたいの。いままで守ってくれて、感謝してる。でもお母さんは、自分ができなかったことを私で叶えようとしただけ。私がお母さんの人生を生きなくちゃいけなかったら、私の、私自身の人生はどうなるの? 私はあなたの分身じゃない。お願いだから、もう邪魔をしないで。」

娘立ち上がって、よろよろしながらも自分の意思で電車を降りる。




情けない話を、最後は少し勇ましくしてみた。
ちなみにこれはフィクションです。
実在する人間とは関係ありませんので、ご了承ください。
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by linket | 2006-12-26 19:30 | ●母と仲良くしたいけど | Comments(9)

母の前ではよい子です

c0007384_915965.jpg夕食の後、くつろいでテレビを見ていたら、視界のすみに息子が針刺しを持っているのが目に入った。
別に気にもとめなかったのだが、彼が自室に引っ込んだ後には、こんなニッコリ顔が!
思わず大爆笑。
テレビの音楽に合わせて踊りだすラテンな私をいつも冷ややかに見下すような彼は、くだらないことをするのも実にクールなのだ。

くだらないことは好きです。
クレラップのCMなんて大好き!
そしてくだらないことをできる家族というのも実に楽しい。

子供のころ(多分、幼稚園に行く前)、板ガムの中身を抜いて、銀紙とクルッと巻いてある包装紙を元のように組み立てて、母に
「はい、ガムあげる」
と言って渡したことがある。
「ありがとう!」
と言って受け取った母は、中身が空だとわかるやいなや、
「こんな嘘をつく子には、もうガムなんか買ってあげないっ!!」
と怒鳴った。
あー、忘れられません、あの怒顔は衝撃的でした。
人間、自分が予想したことと違う未来を見せつけられると、脳裏に焼き付くものですね。

私の予想としては
「なーんだ、空じゃない。もうっ! だまされちゃったよ〜〜。」
「わーい、わーい。じゃ、今度はほんとのあげるね。」
「ほんと? ありがと♡」
という親子の会話が繰り広げられると思っていたのだ。
だってさ、テレビで見るお母さんと子供ってそんな感じだったんだもん。
こうやって子供は現実を覚えていくのです。
はい、もちろんそれから私はとってもとってもよい子でしたよ、母の前では。
怒られたくはないし、怒らせたくもなかったのでね。

いまでも母の前ではよい子です。
そして私のいまの家族の前では、くだらないことをしまくる。
踊ったり、歌ったり、ごねたり、ホラ吹いたり。
あまりにもくだらなくて楽しいので、母もこんな家族を作ればよかったのになぁ、と思うことがある。
でも母は母でいろいろ考えたり、悩んだりしながら、よい子を育てることを自分の使命としたのだろうから、私はそんな母の期待に応えるために、ずっとよい子でいるのだと思う。
この歳になったら、さらに怒られたくも怒らせたくもないのでね。
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by linket | 2006-07-25 09:04 | ●母と仲良くしたいけど | Comments(4)
c0007384_1247564.jpgずっと蕎麦が嫌いだと公言してきた。
蕎麦とうどんのメニューがあれば、絶対うどんを選ぶ。
そんな私が、この間しがらみから蕎麦を食べざるを得ない事態に追い込まれた。
で、いやいや食べ始めたら、意外にそれがおいしいので、改めて『蕎麦は嫌いだ』という理由を見つけてみたのだが、決定的な理由がみつからない。

あれれ?
歳とともに味の好みが変わったのかもしれない。
でも、私は『蕎麦が嫌い』と言うことで、母の味方をしていたことに、そのとき初めて気がついたのだ。

父は無類の蕎麦好きで、小腹が空くと自分で蕎麦掻(そば粉に熱湯を入れて練ったものをしょうゆで食す)を作ったりする人だった。
それに対して母は蕎麦があまり好きではなかったが、蕎麦好きの父のためによく手打ち蕎麦を作っていた。
麗しい夫婦愛のようだが、母は『お母さんは蕎麦なんか好きじゃない』と、まるで呪いを吐くように蕎麦を打っていた。
20歳も年上の明治生まれの父は、母にとっては絶対に服従しなければならない支配者だったからだ。
父はなんにつけかなり強引で、自分の意見は間違っていても曲げなかったので、母が隠れて涙していた姿も、私はよく覚えている。
父が『蕎麦を作れ』と言えば、母の選択肢はそれを作ることしかなかったのだ。

小さな子供はお母さんと常に一緒だ(いや、もちろんお母さん以外の人と一緒の場合もあるだろうが、小さな子供には保護して面倒みてくれる人が必要なので、そういう人を便宜的に『お母さん』と呼んでおく)。
お母さんに見捨てられたら、自分は生きていけない。
だから子供たちは、なんとかしてお母さんの役に立ちたいと思い、自分にできることを探すのだ。

私にとってそれは、『私も蕎麦なんか嫌い!』と口にすることだったのだ。
呪いの蕎麦を打つ母はそれを聞いてほくそ笑み、味方をつけた安心感にちょっぴり嬉しそうな顔をする。
私の言葉一つで、母が嬉しそうにする!
それはなんて甘美な魔法だろうか!?
お母さんには、安らかであってほしいと、幼い子供はいつだって願っているのだ。
そのためには嘘だってつく。
嘘ばっかり言ってるうちに、自分の本心さえ見失ってしまう。
それが子供のやさしさだ。

父のために呪いを吐きながら蕎麦を打ち続けた母は、いつしか蕎麦打ちの名人になった。
父が亡くなってからも、その手打ち蕎麦を恋しがる人たちのために、母は蕎麦を打つ。
でももう呪いを吐いたりはしない。
『お母さんの蕎麦はおいしいって、みんなが喜んでくれるから』
と、ニコニコしながら蕎麦を打つ。
いつの間にか、私が『蕎麦なんか嫌い!』と嘘で味方をしなくても、母は嬉しそうな顔をして蕎麦を打つようになっていたのだ。
私の蕎麦嫌いも返上していいみたいだね。
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by linket | 2006-03-31 12:53 | ●母と仲良くしたいけど | Comments(3)

お母さん、笑ってよ。

一ヶ月ほど前、74歳になる母と電話していた時のことだ。
やたらと愚痴っぽく、なにを言っても私の言葉尻をとらえて文句ばっかり言うのでうざったくなり、話の流れから
「小さい頃、怒られないかどうかお母さんの顔色うかがってばっかりで、イヤだったな。」
と少し拗ねて言ったら、激情した母に、
「忙しかったんだもの! 子育てなんかやってるヒマなんかありゃしなかった!」
と、吐き捨てられた。
母は『忙しくて子どもに我慢ばかりさせてかわいそうだった』と思うよりも、『忙しい私を誰も助けてくれなかった』と今でも思っているのだと、妙に腑に落ちて悲しかった。
母の孤独の淵は絶望的に暗く、歳をとるごとにその淵に引きずり込まれていく母が悲しくてたまらなかったのだ。

特別老人養護施設で働く友人から『人は生きてきたように老いたり、呆けたりしていく』という話を聞いたことがある。
楽しく生きてきた人は、呆けても愛嬌があって穏やかだけれど、我慢してきた人が呆けると、疑り深く怒りっぽくなるのだと言う。
母が呆けたら、きっと仁王のようになるのではないかと思って、呆ける前になんとか少しは軌道修正をしたいものだと願う娘であった。
もっとも、鬱をやってからすっかり記憶力や気力の落ちた私なんかより、母は元気でパワー溢れるババアなので、そう心配はないかもしれないが。

昨日電話したときには、車の運転の話になった。
母は今でも毎日車の運転をする。
心配性の長姉などは、年老いた母に車の運転をやめてもらいたいようだが、母から運転を取り上げたら、それこそ呆けかねない。
孫を学校に送ったり、買い物につきあったり、文句を言いながらも孫に当てにされるのが嬉しいらしい。
「よかったよね。お母さんが教習所に行くのを、泣きながら我慢した私の苦労の甲斐もあったってもんだね。」
と、ふざけて言ったら、
「そうだね。」
と、母が笑った。

母が運転免許を採ったのは、私が幼稚園に行く前だった。
母に置いて行かれるのを嫌がって、スーパーカブ(50ccのバイク)の後ろにぶら下がって泣き叫ぶ私を祖父母に預け、母は教習所に通っていたのだ。
それでもあまりに私が頑固で祖父母も手を焼いたらしく、何度か一緒に教習所に連れて行ってもらったことがある。
「お母さんが教習路をグルって回ってくると手を振っていたの覚えているよ。」
と私は言った。
母はそんな私に、笑って手を振り返してくれた。
隣に乗っていた教官が、苦笑しながら母をたしなめて、母が小さくすいませんと頭を下げる。
そんな一コマを私はよく覚えている。
35年も前の、田舎の教習所だからこそ許された、母の笑顔だった。

ものごとには、いいことと嫌なことがゴチャゴチャに張り付いている。
毎日毎日、母が出かけるたびに泣き叫んで、置いて行かれることに抗議した私なのに、たった数回の、車を運転する母に手を振った思い出の方が印象強く、その一連の出来事を肯定的なできごとへと変換してしまう。
運転免許を採ったら、夫に頼まなくても一人でどこにでも行ける。
それは、なんでも自分でやらないと気がすまない母にとって、とても大きな希望だったのだろう。
だから母は、私がどんなに泣き叫ぼうが教習所に通い続け、車に乗っているときは、あんなに楽しそうで、一周回ってくるのをジッと待っている娘の私に、笑って手を振る余裕があったのだと思う。

お母さんの残りの人生にも、希望がありますように。
だれもあなたをいいように使って楽しているわけないし、だれもあなたを犠牲にして平気でいるわけでもないよ。
あなたが、自分の希望を見いだして、ひたむきにそれに打ち込み、笑顔を見せることがこの先にもありますように。
そんな風に生きられるなら、長生きするのもまんざらじゃないと、私たちが思えるような老後を送ってくださいね。
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by linket | 2005-10-15 20:11 | ●母と仲良くしたいけど | Comments(0)

だからダメなんだ!

<食生活>満腹はがん招く? 緑茶・キャベツはよい効果
昭和ひとけた生まれの母は、腹一杯食べる人が好き。
とにかく母が用意したご飯をモリモリ食べて、「うまい!うまい!」と言ってくれる人がいると母の機嫌はすこぶるいい。
お客さんが来ると、相手の腹具合など考えずに、
「もっと食べろ、もっと食べろ」
とけしかける。
まあ、母に限ったことではないのかもしれない。
腹一杯食べさせることは最高のもてなしであり、出された方は残さず食べることが礼儀であるとされるのだから。

夏に実家に帰ったときのことである。
母が朝食用のご飯をてんこ盛りに盛りつけて、食卓に運んできた。
私が普段食べる量の倍は入っている。
私よりご飯を食べない娘に「ご飯多い?」と聞く。
当然「多い」という返事。
ちなみに、ご飯のとなりの椀には、夕べの残りのうどんを煮込んだものが添えられているのだ。
いつもはパン食である私と娘には、かなり重量級な朝食である。
私は娘と私の茶碗を持ち、「多いから減らすね」と言って台所に立った。
背中から母の
「だからダメなんだ!」
という裁定が大声で下される。
「うちの子ども達のどこがどうダメなんですか?」
と、ついムキになる私。
「若いのに、それしか食べないなんて……。見てみろ! 私なんか70歳超えたってまだこんなにたくさん食べるんだ。」

ハァ・・・・
確かにそのお歳で病気一つせず、元気でいられることは本当に尊敬しております。
確かに私はあなたほどの強靱な身体も心もなく、鬱になって死にそうな目にも遭いました。

だからって、娘は別にダイエットしてガリガリに痩せているわけでもなく、病気もせずに皆勤賞で学校に通っているんだよ。
なにがどうダメだって言うのさ!
だいたい、あなたが私の娘ぐらいの年頃には、戦中戦後で、腹一杯食えなかったわけでしょ?
それでこんなに今元気にしてるんだから、そんなに食わなくってもいいっていうことじゃないの?

と、口に出したら喧嘩になりそうなことを飲み込みながら、黙ってご飯を減らす。
この場合の目的は、母との意見の違いを埋めるべく不毛な言い争いをすることではなく、食べられないご飯の無駄を減らすことにあるのだ、と自らに言い聞かせつつ。

もういい加減止めようよ、腹一杯食べるのが幸せなんだっていう思いこみ。
あっ、食べたい人が食べるのはいいんだけどね、食べたくない人に強制しないでほしい。
実家に行くと、必ず太って便秘になって、体調が悪くなる。
これのどこが健康的なんだ!
人それぞれの食生活があっていいじゃないか。
成人の必要カロリーは一日○○○カロリーとか、一日に30種類の以上の食品を摂りましょうとか、本当に必要なんだろうか?

牛乳はガンにならないって、毎日牛乳飲んでいた叔父は、胃ガンで亡くなった(もしかして、満腹になるまで牛乳を飲み続けてしまったのか!?)。
肺炎で死んだ父の肺は相当炎症がひどく、「普通だったらこんなに生きていられるはずがない」という貴重なサンプルとして、肺の組織を病院に保管された。
人が生きていくということはきっといろいろ複雑なメカニズムが働いているのだ。
あんまり考えすぎると病気になりそうなので、私は食べたいものを食べたいだけ食べて、つつましく生きていければそれでいいと思っている。
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by linket | 2005-09-04 13:49 | ●母と仲良くしたいけど | Comments(0)
トラバさせていただいたのは、倫子さんのお嬢さんの愛が足りないけどにせものじゃダメだよ話。

c0007384_935582.jpg私はずっと親(特に母親)には、嫌われていると思っていた。
別に虐待を受けたとかではないのだけれど、愛されているという実感を持ったことがない。
多分小学校の頃だったと思うが、母と昼メロを見ていたら、こんなシーンに出くわした。

「ねぇ、ママ、私のこと愛してる?」
と子役の女の子がいい、
「もちろん、愛してるわよ」
と母親役の女優さんが返す。

私は間髪入れずに、ずっと口にしてみたかったことを母にぶつけた。
「ねぇ、私のこと愛してる?」
母は、やや大げさに
「愛してるよ」
と言った。

ああ、あの時の居心地の悪さ!
いま思い出しても背筋がゾゾッとするというか、チョコレート食べたら銀紙も一緒にかんじゃったよ、ザリッ!みたいな違和感がある。
母は別に嘘をいったわけではないと思うが、私には母の言葉が嘘くさく聞こえてたまらなかったのだ。

自分が22歳で母になったとき、私はすべてを注ぎ込んで一生懸命に子育てをした。
もっとも育児書や本やドラマで、小さなか弱い生き物をどうやって世話したらいいかの情報はいくらでも手に入ったけれど、『慈しむ気持ち』みたいなものがどうしてもよくわからず、わからないから情報を頼りに完璧な子育てを目指していただけのように今は思う。

 ・赤ちゃんのためにも環境のためにも紙おむつを使わず布おむつ(私って偉い?)
 ・(体重の増え方が少ないと保健婦さんに言われようと!)絶対なにがあっても母乳育児
 ・食べ物は無農薬野菜やall天然物(夫には嫌がられたな)
 ・着る物は母の手作り(貧乏だったせいもあるが)
 ・胎教は(聞いたこともない)クラシック音楽
 ・寝る前は本の読み聞かせ(できないときのための自作カセットも吹き込んだ)

こんなことしてたら、ぶっ壊れるよな・・・バカだね、昔の自分。
こんなバカ親に育てられたにもかかわらず、娘はほんとにすくすくと育ってくれた。
それにしても、私には娘がなぜこうもひねくれたりせずに毎日生きているのか、全然わけがわからなかった。
それに比べて、私は相変わらずひねていた。

娘が中学生になった夏休みのことだ。
部活動の練習に連日出かける娘に、私は弁当を作らねばならなかった。
鬱で体調もすぐれず、仕事やPTA役員も忙しく、毎朝早起きして弁当をつくるのは、私にとって苦行以外のなにものでもなかった。
そんなにいやならコンビニ弁当でも持たせればいいものを、それを許したら堕落の坂を転げ落ちてしまうような危機感があってどうしてもその一線が越えられない。
義務感だけで作った(というか、ほとんどは冷凍食品をチンして詰め合わせた)だけの弁当を、娘は必ず
「ありがとう!」
と優しく言って持っていく。
私はそれがイヤで仕方がなかった。

こんなテキトーな弁当に、そんな特別の笑顔で「ありがとう!」なんて言わないでよ!
昔母親に「愛してる?」って聞いちゃったときみたいな違和感がたまんないんだよ!!
相当、ねじれている私。

それでも娘は毎日「ありがとう!」とほほえんでお礼を言う。
ときには私の顔色をうかがって、遠慮がちながら「ありがとう!」と言う。
私は罪悪感さえ抱いて、毎日その「ありがとう!」爆弾をやり過ごす。

そしてついに、娘が勝利する日が来る。
ある日、私はいつもの娘の「ありがとう!」攻撃に、突然なぜか涙が止まらなくなってしまった。
ごめんねとありがとうがごちゃ混ぜになって、とうてい言葉で説明できる状況ではない中、娘にお弁当を持たせて送り出し、号泣した。

私は、愛するってことがどういうことか知らなかったのだ。
条件がよくなければ、愛される(赦される)はずがないと思い込んでいたのだ。
パーフェクトな母でなければ、子どもに愛されないと思っていたから、鬱っぽく、冷食チンの弁当を持たせるような自分が子どもから赦されてはいけないのだと信じていた。
それは自分がパーフェクトでなければ親から愛されないという子どものころの誤解から生じており、もっとさかのぼれば、私の母自身もパーフェクトでなければ、愛し愛されないという価値観で生きていたことの連綿とした結果でもあった。

私は娘のたゆまぬ愛があって初めて母もどきになれたという失格母なのである。
娘よ、本当にありがとう!
生まれてくれてありがとう!
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by linket | 2005-09-02 09:36 | ●母と仲良くしたいけど | Comments(0)
昨日兄からお中元が届いたと電話があり、ついでに久しぶりに少し話した。
その折、兄の口から
「親父の葬式のとき、お袋があんなに泣くとは思わなかったな。」
という言葉が出た。
「いつも喧嘩ばっかりしてたのに、やっぱり愛していたのかな、って思った。」
「あっ、それは私も思ったよ。やっぱり夫婦ってそういうものなのかなぁって。」
高校生だったあのときは、そう思った。母は結局は父を愛していたのだろうと。
でも母の感情は、そんな簡単なものではなかったのではないかと、今は思う。
兄は、父と母が喧嘩ばかりしていたと証言したが、私にはその記憶がない。
七歳の歳の違いを感じる。
母はこの七年の間に、二十歳年上の夫に気持ちを訴え、自分を伝えようとすることをあきらめたのだろう。

母はとにかく黙々とよく働いた。
家は酪農家だったのだが、父が農協に勤めていたため、母は家事と育児をこなしたうえで、普通なら夫がする仕事の全部をも担わなければならなかった。
働いて、働いて、具合が悪くても働いて、誰にも助けを求めなかった。
子どもながらに、なんとか母を助けたいと願っていたが、母はそれを拒否し、拒否するくせに、自分ばかりが苦労していると全身で怒っていた。
怒ることをエネルギーにして、生きているかのようだった。
もちろん頑張って考えれば、笑っていた母や、優しい母の思い出もあるのだが、未だに母のことを思うと、不機嫌に黙り込むか、ヒステリックに怒鳴り散らす場面ばかりが浮かんでしまう。

去年のお盆に帰省した折、私は義姉からこんな話を聞いた。
「台所でソバをうっていたら、玄関の方で『こんばんわ』って男の人の声がしたんだけど、行ってみたら誰もいなかったんだよ。お盆だから、お義父さんが来たのかなって、子ども達と言ってたんだ。」
「きっとそうだよ。お父さんはソバが大好物だったからね。」
ファザコンの私など、父の霊がソバに惹かれて家に戻って来たなんて、もう涙ぐんでしまう話である。
で、この話を早速母にしたところ、
「そんなことあるわけねえだんべ!(群馬弁)」
と母は言い捨てた。
仮にだ、相手に恨みがあったとしても、父が死んでもう二十年以上が経ち、一つや二つの恨みも時の流れに解けゆき、穏やかに思い出になるもんではないのか?
もしも、かけらでも愛していたなら、
「そうかもしれないねぇ」
と、しみじみ故人を想い出す場面だと思うのだが。

母はいまでも怒っているのだ。
自分や家族よりも、仕事や人づきあいを優先した父に、猛烈に怒っているのだ。
このまま死なせたら、娘としては相当後味が悪いので、なんとか母に幸せな余生を送ってもらいたいと願っているが、年寄りの長年の考え方の癖を変えるのは、そう簡単ではない。

「どうせ一生我慢してきた人生なんだから!」
と、よく母は言う。
ずっと我慢してきたからこそ、これからは少しは穏やかに暮らして欲しい。
頼むから、祟り神にはならないで。
あなたの人生は賞賛に値する。
四人の子どもも立派に成人し、それぞれ所帯をもって人並みに暮らし、親に無心をするようなこともない。
父はあなたにかなりの我慢を強いただけでサッサと死んでしまったかもしれないが、一応あなたが暮らして行くに困らないだけのものは残したはずだ。
あなたは社交的で、人の相談によくのり、正直で、働き者で、人望も厚い。
もういいじゃないか。十分苦しんだじゃないか。
もう怒りつづける必要はないじゃないか。
一生懸命生きたのだから、自分の人生を否定しないで欲しい。

いまさらなにも変わりはしないと、あなたがあきらめても、私はあきらめない。
まあ、せいぜいしつこい娘を生んだしまったことを後悔するんだね。
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by linket | 2005-07-16 22:40 | ●母と仲良くしたいけど | Comments(0)

この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため


by hami