Frosty Night(逝くなら霜夜に!)

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この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため

カテゴリ:●平熱スピリチュアル( 18 )

父とオパール

今日、突然、亡くなった父が私の中に入ってきた。
いや、なにを言っているのか?
でも、そうとしか言いようがない。

身も心もほどけてくつろいでいたら、父の笑顔が浮かび、
『もういいよ』
と、いうようなニュアンスのメッセージを送ってきた。
なにがいいのか?
こういうメッセージは、言語に頼らないものなので、なんとも理解や説明が難しい。
ずっと後になって、
「ああ、そういうことだったのかな?」
と、思うことも多いし、それだって、「かな?」という程度で、絶対的な納得にはならないのだけど。

とにかく、父は「もういいよ」と笑って、私の胸に入ってきた。
父が亡くなって25年。
父の存在を感じるときは、いつも私の外側(特に右斜め上あたり)だった。
姿や光が見えるわけではないのだけど、なんとなくそのあたりにいる気配だったのに、今日は私の中にストンと入ってきて、カチンとはまった。

私は特に宗教を持っているわけではないが、魂の存在は信じているし、死んだら終わりとも思っていない。
それは肌感覚として、そういう風に思うほうが、自分にとっては自然だからだ。
だからと言って、「私は死んでなんかいません。千の風になって、いつまでもあなたを見守っています」というのは、なんだか薄気味悪くて大嫌いだ。
父が風になって会いにきたくらいに思っているうちはよかったが、あの歌が大ブレイクするとともに、成仏できないこの世に未練たらたらの、死ぬのが怖い幽霊たちが、千の風にぎゅうぎゅうに紛れ込んで吹きすさんでいる様を想像してしまい、風が吹くとうんざりする。

あんたは、死んだの。
名残惜しいこと、心残りなことあるだろうけどさ、サッサと成仏せいよ!
と、風に向かって心の中で祈る(というか、脅すというか、怒鳴るというか・・・)。

この世とあの世は同じ世界ではないと思う。
そしてあの世にいる父の存在(魂)というのは、独立したものではないような気がする。
明治44年~昭和57年まで生きた父の人生は、父の魂の経験の一部分であってすべてではない。
だから、私は父の魂の全部を知っているわけではない。
今回、私の中に入ってきたのは、父の魂の全部ではなくて、父の魂の経験の一部として、私が知っているいわゆる「私の父の人生」の結晶のようなものだ。
私の中に、父の今回の人生のデータが入った記録媒体が入ってきて、私のハードにバックアップしたとでも言おうか。

そして、その記録媒体は、なぜかオパールなのだった。
ダイヤモンドでもエメラルドでもなく、オパールなのだ。

これは前にも書いたけど、私にはオパールのイメージがあるって言われたことがあって、あまりピンとしなかったのだけど、オパールは父のエッセンスだったのだと思い当たる。
父は私に、オパールの記録を残して、「私の父だったときに生きた記憶」を失ったのだろう。
次に生まれる準備のために。

私が死者を忘れないようにしていても、死者は生きていた人生を忘れてしまうんだ。
それでいいんだなぁと思うが、ちょっと淋しくて、やっぱり泣いてしまうんだけど。
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by linket | 2009-01-26 18:37 | ●平熱スピリチュアル | Comments(5)

c0007384_11411340.jpg

小さな女の子が鍵をくれた
その鍵で開けたのは、薄紫のきれいな球
中から出てきたのは、この花の色みたいなきれいな光

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by linket | 2008-12-03 11:41 | ●平熱スピリチュアル | Comments(4)
c0007384_15352579.jpg先日、ジャスパー様から教えていただいた北山耕平さんのブログ『Native Heart』に、
『(ハワイィの言葉で)「マカ」は「眼」を意味し、そのまま「宇宙の眼であるプレアデス星団〔和名「すばる」〕をあらわします。』
という記述があった。

そうだったのか!

以前、生命レベルが限りなく下がってしまったときに、夢枕に『マカ王』が立って、私にパワーを与えてくれたことがあった。

マカ王ってなんだよ!なのだが、なぜか私は夢の中で『あっ、マカ王だ!』って思ったんだよね。
腰ミノつけて、ハワイィというか、ポリネシアンなムード満載で、太鼓の音とともに、ジャカジャカやってきて、私にパワーをくれたのだ。
こんなあつかましいパワーもらっても困るよ、、、、というか、もう、あきらめてもいいんだけど。。。と逃げ腰の私に構わず、マカ王は私にミラクルパワーを押しつけて、賑やかに消え去っていったのだった。
目が覚めたら、確かに少し(劇的ではないところが物質的星であるこの地球の掟)、元気になっていたような。。。。

マカ王ってなんだろう?ってずっと思っていた。
たまたま、そのとき飲んでいたサプリメントが『マカ』(原産地南米ペルーの天然アブラナ科植物。滋養強壮や疲労回復に効果があると言われている)だったので、その王様だとつじつまあわせしておいたのだが、そうか、プレアデス星団の王様だったのか!
実は漠然と、サプリメントのマカはハワイ原産と思い込んでいたのも、どこかで『マカ』がハワイィの言葉だって知っていたからなのかもしれない。

根拠もなにもない話をするが、私は遠い昔、プレアデス星団から、この地球にやってきた霊団の一味なのだった。
ちなみに、プレアデスからやってきた人は、目がパッチリしているのが特徴らしいよ!

そして、プレアデス星人と縁が深いのが、モルダバイトという石。
最初にプレアデス星人は、流星群になって地球にやってきたような記憶がある。
これを書くために、モルダバイトをググッていたら、モルダバイトのメッセージは、

「あなたは一人ぼっちの存在ではない」

なんだって。
あー、確かに、マカ王は、『ほっといてよ』って、ひねている私を、決してひとりぼっちにはしなかったわ。

まあ、そんなわけで、社交的で、おせっかい焼きで、面倒見がいいのがプレアデス星人の特徴なので、ルーツが他の星人の人とも仲良くするのが得意なんだそうだ。

今後ともよろしゅう!
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by linket | 2007-10-30 15:28 | ●平熱スピリチュアル | Comments(6)
c0007384_16112159.jpgピアニストのフジコ・ヘミングさんが、長く売れない不遇の時代を送っているとき、

遅くとも待っておれ
それは必ずやってくる


という言葉に、希望をもらったみたいな話を読んだことがある。
記憶があいまいだが、聖書の言葉だったかな?(知ってる方がいたらご指摘を!)

それを読んで以来、私も折りに触れこの言葉を支えに、未来を信じようと心がけてきた。
それでもまあ、楽しいばっかりでもない我が家なので、毎月、毎月、綱渡りみたいな自転車操業が続いている。

そんな中、息子が志望大学をついに決めた。
ずっとA校とB校のどっちにしようかな?という状態だったのに、いきなりC校にする、と宣言してきた。
A校はレベルは高いが、県外なので一人暮らしが必須。
でも、公立校なので授業料はやや安め。
B校は自宅から通えるし、学校指定校なので合格間違いなし。
でも、いまいち校風が好きではないらしい。
とくにどちらも決め手がなく、息子いわく「消去法でA校」と言うので、親としても応援のしがいがない。

「消去法なら、B校にしてくれない? B校なら家から通えるし、バイトもできるよ。一人暮らしだったら、炊事とか洗濯とか、そんなことに時間とられて、自分の好きなことできないよ。ぶっちゃけ一人暮らしはお金かかるから、どーーーしてもA校がいいならともかく、消去法とかいうならB校にしてくれると助かるなーーー。」

クズクズしているうちに、8月も終わる。
9月になれば、指定校制度の推薦が始まる。
B校なら指定校制度が使えるから、一般入試よりも指定校制度で入って欲しい。
その方が確実だし、11月くらいには合否が決まる(てか、学校内の選抜受かればほぼ合格間違いなし)なのだから、入試戦線に加わらなくて済むというもの。
息子は一芸にしか秀でていないタイプなので、一般入試なんてとても危険だ。
できれば、トットと受かってほしい。
しかしながら、指定校制度で受かれば、Noは言えない。
9月にB校を出してしまえば、確実に受かる分、A校への選択肢はなくなる。

A校は、一般で合格するのはまず無理だと思われた。
なので、10月から始まる推薦入試に賭けるわけだが、レベルが高いだけに受かるかどうかの確約はない。
これに落ちた場合、一般入試合格(つうか、そもそもセンターの受験資格があるのか?)は難しいから、B校の一般を受けるしかなくなるが、息子の場合、一般だとB校合格さえも危ぶまれる。
なんたって、好きなことしかできない息子のバランスシートは、思いっきりいびつなのだ。
トータルな能力を求められる一般入試なんて、どう考えても無理というか、そんな危ない橋を渡らせたくない。

悩む。。。。
「ああ、B校のオープンキャンパスに参加したら、『すっごいよかったよ! ここにする』って決めてくれないかなーーー」
と、密かに祈る私。
夏休みも終わりの先週の土曜日、B校のオープンキャンパスに息子が行った。
早速、感想を聞くと、「あんまり・・・」と首をかしげる息子。
「ダメですか・・・・」
私の思惑は、かくももろく玉砕されたのであった。

次の日の朝、息子が制服姿だったので、
「今日はどこに行くの?」
「C校のオープンキャンパス」
「C校って、志望校に入ってたの?」
「いや、夏休みの宿題で3校以上のオープンキャンパス行かなくちゃだから」

果たして、C校から戻った息子に「どうだった?」と聞くと
「うん」
と、うなづく。
なんですと!?
息子のYesは絶対のYesだ。
やっぱり~Noということは、あり得ないのだ。
「なんで?」
「うん」
と差し出されたパンフレットを見たら、コンピュ○×△□学科の先生も生徒も、この星の人たちではありません。
おそらく、宇宙のどこぞの星雲からやってきて、この地球に新技術をもたらしてくれる宇宙人の皆さんです。
息子は宇宙人気質だと思っていたけれど、やっぱり仲間が待っていたんだね。
なんか、泣けてくる。
レベルなんか全然高くないし、チヤホヤされる知名度ではないけれど、行くべきところが決まってよかった。

いや、本当は、合格決まってから喜べって話だが。
なんだか、希望の光が一筋見えて、肩の荷が降りた気がしている。
我が家でお預かりした宇宙人さん、なんとか一人前になるまでお育てすることができました。
約束どおり、お仲間の元へお返ししますので、どうぞよろしくお願いします。
我が家を選んでくれたこと、本当に感謝します。

これを突破口に、停滞していることのいろいろが動くんじゃないかというかすかな期待。
そしたら、今日、こんな言葉を聞いたのだ。

遅くとも待っておれ
それはいきなりやってくる


思わず、一人、噴き出しちゃったよ。
いきなりですか?
それではお言葉通り、待っています。
どんないきなりがやってきたかは、またその時々のご報告ということで!
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by linket | 2007-08-29 16:18 | ●平熱スピリチュアル | Comments(2)
c0007384_15113235.jpgよく遊びに行かせていただいているサイトで話題になっていたが、私のところにも『神の目』のチェーンメールが届いた。

えっと、私にメールをくれた人も、この記事を読むかもしれないから断っておくけど、決してあなたを責めたいわけではないから。
ただ、こういうインチキな話が、悪気はないからといって広まってしまうことは怖いと思っているので、私が調べた事実と、感じたことを書きたいだけなので悪しからず。。。。

内容は以下の通り。






-------------------------------------------------------------------------
「すごい写真が来ました!!
from NASA Hubbell Telescope. Make 7 wishes.
ナサのハブル望遠鏡撮影。
「7つの願いをこめて」
「この写真はナサの天体望遠鏡で撮影されたもので、3000年に一度と言われている大
変珍しい現象です。
これは「神の目」と呼ばれています。
この目を見つめる者には多くの奇跡が訪れるといわれており、見るものがこれを信じ
る信じないは関係なく、7つの願いが聞き届けられると言われています。
とにかく試してみて、どのような変化があるか、見てみてください。
この知らせを、「そのかたの願いが叶いますように」と思いを込めて、たくさんの方
にシェアして下さい☆自分だけで独り占めはしないこと。

今日から七日までが最も強いパワーだそうです。」

-------------------------------------------------------------------


なぜか、前述のサイトで紹介されているのとは若干の違いがあったので笑えた。
そちらでは、18人にメールせよ!と書かれていたんだよね。
18人にメールしないと願いが叶わないんだってさ。
叶わなくて結構だ! だいたい18人も友人がいないのさ!
それに比べたら『たくさんの人にシェアせよ』という方が、やや良心的か?

それにしたって、7つの願い事が叶うって、それは2007年7月7日に掛けたわけですか?
ラッキー7がゾロ目なら、なんかいいことあるだろう、と思うのは別に構わないし、この写真に願掛けしたらうっかり願いが7つも叶っちゃった人もいるかもしれない。
だからといって『これを信じる信じないは関係なく、7つの願いが聞き届けられる』ってなに?

 神様、私、7つも願い事が思い浮かびません。
 だから私の分の7つのお願いは、誰か14個のお願いを持っている人にシェアします。


『求めよ! さらば与えられん!』というが、それはなんとなく薄ぼんやりお願い事をしたら、神様が叶えてくれるなんてもんではなくて、『人事を尽くして天命を待つ』ということだろう。
努力もせずに叶った願いなど、7つ叶おうが、777万叶おうが、私はいらないんだよ。

そもそも3,000年に一度っていつなのか?
私は天体通ではないので、やや詳しい息子に聞いたら、学研の図鑑『宇宙』を引っ張り出してきて、この写真はみずがめ座にあるらせん状星雲『NGC7293』だと教えてくれた。
はい、2001年発行のこの図鑑にも、しっかり神の目の写真載ってまっせ!(別の写真だけど)

この写真の出所のハッブルサイトに行ったら英文だったので、翻訳かけてみる。
とぎれとぎれの日本語訳で合成写真という単語が腑に落ちず、さらに調べたら株式会社アストロアーツのサイトで詳しく説明してくれていた。
写真が撮られたのは2002年だというじゃないですか?
で、いったいいつが3,000年に一度と言われている大変珍しい現象なのか?

確かに美しい写真だと思う。
美しいものは、美しいだけでいいじゃないか。
本当に美しいものには、神が宿っているように感じるものだが、だからっていちいち願いを叶えてもらおうとするなよ、さもしいだろ?
美しいものを見たら、自分の中がきれいになるハズなのに、いちいち願掛けするなんて、卑しいだろ?

まあね、最初にこのチェーンメールを作成した人は、友人をちょっと担ぐぐらいの気持ちで、まさかこんな騒ぎになって、私ごときにブログでインチキ呼ばわりされるのは不本意かもしれない。
でも、目に見えない世界なのをいいことに、お手軽な癒しやスピリチュアルが横行しているのが私には耐えられないんだよ。
みんな、ちゃんと『自分の目』で見て、頭で考えて、心で感じてくれよ。
自戒を込めて書く。
だれかの声に惑わされるな。
それがどんなに大きな声でも、幸せそうでも、みんなが信じていても、「自分にはそれが必要か?」ということを、自分の胸に聞いてみろ。

ちなみに『猫の目』もあります。
この写真に願いを掛けると、きまぐれに叶うらしいよ(嘘
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by linket | 2007-07-15 15:11 | ●平熱スピリチュアル | Comments(6)

呪いよりも祈りを

c0007384_2353672.jpgわけもわからず、ひどい目に遭った一週間だった。
探られたり、試されたり、泣かされたり、脅されたり、(心を)踏んづけられたりで、ヘトヘトになった。
前の私だったら、折れていたと思う。

でも不思議なことに、こんな状況で世界が輝いて見えるのだ(精神異常かもしれないが)。

人生で最悪のことがあった同じ日の夕方、きれいなきれいな夕焼けが眼前に広がった。
曇っているのに、雲の切れ目からのぞいた太陽が空を金色に染める。
雨が少しだけ降っていた。
車の運転中だから振り返れないけれど、知ってるよ。
私の背後には、虹も出ているんでしょう!?
ありがとう。
どっちを世界の現実として受け取るかと問われたら、私は迷わず美しい景色を信じます。

最初は私を落としたヤツをこてんぱんに呪おうと思ったのだが、いろんな形でいろんな人(や存在)が愛を送ってくれるから、ろくでなしを呪うなんてろくでもなく思えてきた。

呪いよりも祈りを

人生ってまんざらじゃないと思うのは、欲しいバッグを手に入れたときなんかではなくて(いや、まあ、それはそれで人生のささやかな楽しみではあるが)、こんなふうに誰彼なく感謝したくなる夜なのだった。

先のことはわからないけれど、運があれば道は開ける。

きっと。
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by linket | 2007-07-03 23:53 | ●平熱スピリチュアル | Comments(5)

災い転じて福となす

c0007384_14493949.jpgもうずいぶん前だがこんな夢を見たことがある。

何人もの人間が一列になってゲームをしている。
ルールは簡単!
崖のような斜面を登って下りてくるだけ。
ルールは簡単だが、競技は簡単ではない。
斜面は想像以上に勾配がきつく、息は切れ、節々が悲鳴をあげ、身体のあちこちが擦り傷だらけだ。
下り坂だって油断できない。
うっかり足を滑らせれば、崖下まで転げ落ちて大怪我をしてしまうからだ。

ようやく1ゲームが終わった。
どうやら早さを競うゲームではないらしい。
参加選手は大きく肩で息をしながらお互いの健闘を讃え合っている。
私も膝に手を置いてうなだれ、ハアハア息をはずませている。
そして突然顔をあげて叫んだ!!

「私、もう一回やってみる!!」

エーーッ!?無理だよ!止めときなよ!と、言うまわりのどよめきをもろともせず、私は高らかに宣言するのだ。

「私、なんだかんだ言っても、全力でやってなかった気がする!だから今度は精一杯やってみたい!」

そこで目が覚めてうんざりした。
頑張るのかよ、私・・・。ほんとにバカというかなんというか・・・。
でもやるよな、私なら・・・。

目の前に苦難の壁が立ちふさがったとき、それを避けて通ろうとはしないし、ましてや苦難がなければいいなんて、深いところの私は思ってもいないらしい。
生も根も尽きたという状況で、こんな夢をみる自分の底力に感謝しておこう。

『災い転じて福となす』という。

『なる』のではない、『なす』のだ、ここ重要。
人生は本当にいろいろなことが起きるけれど、その経験を生かして『福となす』も、殺して『災い』のまま刻んでしまうのも自分次第。
私は負けず嫌いだから、自分の人生に負けを刻みたくはない。
だから、これからも、なにがあっても、絶対に自分を不幸にさせない。
それは表面的な災いがなにも起きませんように・・・ということではなくて、どんなことになっても、『転じて福にしてやるぜ』という意味で。

我ながら、相当のバカだと思うがね。
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by linket | 2007-04-07 14:49 | ●平熱スピリチュアル | Comments(2)

「死ぬまで生きろよ!」

c0007384_1534344.jpg「死ぬまで生きろよ!」というのは、死んだ父の口癖だった。
酔っぱらって上機嫌の父が、仲間と別れるときによく口にしていた。
子供だった私は「死ぬまで生きるのは当たり前じゃない」と、冷めた目で見ていたのだが、今になると、もっと深い意味があったんだろうなと思う。
戦時中に満州に渡り、現地で召集されたのち終戦を迎え、シベリアに抑留されていた父にとって、死は身近な存在だったはずだ。
特に捕虜として抑留されていた三年あまりの日々は、帰郷のあてもなく、同胞達が次々と死んでいく絶望的な状況が、どんなに父の死生観を深いものにしたか、平和な時代に育った私には想像すらできない。

私なんて、鬱になったときに平気で『死ぬまで生きる』ことを投げ出してしまおうとしたこともあったわけで、あのとき父が生きていたら、きっと拳のひとつやふたつ、飛んできたに違いない。
それでもね、経験していないことはある程度の想像しかできないわけで、私には父の戦争体験に本当の意味で共感を持つことはできないし、豊かな生活をしていながら死にたくなった私の気持ちを、父に共感してもらうことも多分無理なんだろう。

ところで、先日、てっちりを食べにとらふぐ亭というお店に連れて行ってもらった。
フグを専門店で食べるのは生まれて初めてなので、同席の人からいろいろとうんちくなど聞きながら、初心者女子の私はひたすらに灰汁をすくう。
無の境地くらいに一心不乱に灰汁をすくっていたら、なんだか父の気配をチラチラと感じるのだ。

父が死んでからも、私は彼の気配を身近に感じてきたのだが、去年の2月くらいにそれがはるか彼方に遠ざかってしまっていた。
没後20数年経って、ようやく成仏してくれたか・・・と、安心しつつも少し淋しく思っていたのだけれど、フグに釣られて出てきたらしい。
フグ好きだったのかな?
貧乏だったし、海なし県の群馬だったから、家族でフグを食べたことなんて一度もないし、父が「フグはうまいぞ」なんて言ったことを聞いた記憶もないのだが、なんだかやたらと嬉しそうな父の気配が伝わってきて、灰汁をすくいながら思わず口元が笑ってしまう。

となりのテーブルでは10数人のサラリーマン達が新年会で盛り上がっており、酒に酔った何人かが、大きな声でしゃべり続けている。
そしてそのうちの一人が、

「死ぬまで生きろよ!」

と、言ったのだ。
やだなぁ、涙出ちゃうじゃないか!
フグ食べながら、泣くなんてかっこ悪いから、泣くの我慢しなきゃいけないじゃん。
お父さん、私はもう生きることを諦めたりしないよ。
ようやく自分で『死ぬまで生きる』ことの大切さがわかったからね。

とりあえずは、ありがたく目の前のフグを食す。
うまいもん食べられるのも、生きてるうちだものね。
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by linket | 2007-01-07 15:16 | ●平熱スピリチュアル | Comments(2)

感謝は人生の設計図

c0007384_7591045.jpg『なにごとにも感謝する』というのが、胡散臭く思えてなかなかできない。
なんかさ、『感謝の言葉を口にしていると、結局は自分に返ってくるから感謝する』的なところが、打算ぽくてさー、イヤだったんだよね。
それに目の前で
「お前なんか訳もなく大っきらいだ!」
と言った人に、感謝するなんてできない。
まあ、ここまでわかりやすくないにしても、相手によかれと思って行動したことが
「余分なことしやがって!」
と否定されて、愕然としたりするときに、「ああ、言ってくれてありがとう」なんて簡単に思えない。
でも自分の思い通りのことを言ってくれなかった相手を責めたところで、結局は自分が辛くて重くてしんどくなるのも、もういいかげんわかっている。

自分に自信がないから、てっとりばやく他人をなんとかしようとしがちなのだが、結局はそれって他人に依存したり、束縛したりしてるってことだ。
なるようになると信用できない。
不安な過去の事例を何百も並べて、「どうせ悪い方に向かうに決まっている」と思う方が安心な自分がいる。

ああ、やだ、本当にイヤだ。
と思っていたら、夢の中で

『感謝は人生の設計図』という言葉をもらった。

浮き世に持ってくるうちに、言葉の壁でドンピシャ感が薄れてしまったが、感謝している(つまりは自分の人生はなるようになると信用している)と、人生の設計図がどんどんはっきりと見えてくるので、ますますドーンと構えていられるよ、というようなメッセージだった。
ほんと、言葉にするのは不自由だな。
もっと奥深いメッセージだったのに、うまく言葉にできない。

自分が得をしたいからなにかに感謝するんではなくて、人生は信頼するに値すると知っているから感謝すればいいのか。
わかったような、わからないような。
でもこれからはできるだけ感謝するようにする。
ありがとうって、なんに対しても思えたら美しいだろうし。
まずは形から入るのも、パラダイムシフトのスイッチを押すのには有効かもしれない。
とにかくなんでもいいから、形を変えていきたいので、できそうなことはなんでも試してみよう。
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by linket | 2006-11-21 08:12 | ●平熱スピリチュアル | Comments(7)
c0007384_11211661.jpg6歳年下の友達と買い物に行ったら、店員さんにまた親子と間違われた。
単品でいれば実年齢より若くみられることが多い私なのに、彼女と一緒だとなぜか母親役。

「ちなみに、彼女が私の娘だとして、いくつくらいだと思ったんですか?」
と前から聞いてみたかったことを店員さんに尋ねる。
「ええと、、、22歳くらい?」
「で、私はいくつだと思ったんですか?」
「・・・・」
実年齢41歳としても、19歳のときの子供。
もしも私が37歳くらいに見えていたらとしたら、15歳のとき産んでなくちゃいけないじゃん。
まあ、絶対にないとは言わないけど、金八先生じゃないんだから(古すぎ?)、もっと考えてからものを言おうね。

それにしても、顔は全然似ていないのに、なぜかいつも親子や姉妹に見られる二人。
似ているところといえば、彼女が『クソ意地』が悪くて、私が『底意地』が悪いところくらい。
どっちがましかは、二人の間で結論が出ていないが。

もしも生まれ変わりがあるのなら、きっと彼女と親子とだったときがあるんだろうな、と思う。
それもメチャメチャ仲の悪い・・・というか、お互い譲らなくて、落としどころがない関係。
それでも今生、まためぐりあって、仲良くなるチャンスがあったことに感謝します。

生まれ変わりなんていうといきなり胡散臭いけどさ、私はあると思う。
思うというか、生まれ変わりがあるって設定のほうが、この世のいろいろなことが腑に落ちる。
私はスピリチュアルなことに興味があるが、かといって普通の人が見えない世界が見えるといって脅したり、金を集めたりする人は絶対に信用しないし、たとえ私の知らないことを知っているからと言って他人の言うことの信者になってしまわないように、いつも慎重であるよう気をつけている。

そういう態度のうえで薦めるのだが、もしも生まれ変わりについて興味があったら、まずは『魂の伴侶』を読んでみてください。
この本には、アメリカの精神科医であるブライアン・L・ワイス氏が、前世療法で癒した患者たちの実話を収めている。
ワイス氏の語り口はとても冷静で、読者に対しても、常に自分が納得しないことには疑り深くあるべきだと説く。
この本は、「なにかわけのわからない不思議な話」ではなくて、「アメリカのある病院での臨床ルポルタージュ」なのだ。
ワイス氏は他にも前世療法の本を出しているのだけれど、私はこの『魂の伴侶』が一番好き。
生まれ変わりなんて信じない人がフィクションとして読んだとしても、特上のラブロマンスとして感動すること間違いなしの太鼓判です!

生まれ変わりとか信じてなくても、
「あー、今度生まれ変わったら、美人になりたいなぁ!」
とか言ったこと、あなたにもあるでしょ?
だからね、生まれ変わりがあるのなら、いま生きているこの設定も
「あー、こんな風に生まれたいな」
と思った結果だと思うのよ。
表面的にはメチャメチャで、いやなことも多かったりするけれど、ほんの少しの注意深さと、もう少しの忍耐力があれば、きっと人生はもっともっと意味があるものになると思う。

私は今生、もう紫陽花みたいな悲しい想いはしたくないと思って生まれてきたの。
紫陽花は悲しい花だと思っていたけれど、自分の悲しい思い出にかぶせていただけなのね。
紫陽花はきれいな花。
ただ、そう思えるようになって嬉しいです。
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by linket | 2006-06-09 11:21 | ●平熱スピリチュアル | Comments(4)

この地球に生まれてきた訳は、確かな信念を持つために、制約された条件の中でひとつのことに邁進し、思いを具現化させるため


by hami