感謝は人生の設計図
なんかさ、『感謝の言葉を口にしていると、結局は自分に返ってくるから感謝する』的なところが、打算ぽくてさー、イヤだったんだよね。
それに目の前で
「お前なんか訳もなく大っきらいだ!」
と言った人に、感謝するなんてできない。
まあ、ここまでわかりやすくないにしても、相手によかれと思って行動したことが
「余分なことしやがって!」
と否定されて、愕然としたりするときに、「ああ、言ってくれてありがとう」なんて簡単に思えない。
でも自分の思い通りのことを言ってくれなかった相手を責めたところで、結局は自分が辛くて重くてしんどくなるのも、もういいかげんわかっている。
自分に自信がないから、てっとりばやく他人をなんとかしようとしがちなのだが、結局はそれって他人に依存したり、束縛したりしてるってことだ。
なるようになると信用できない。
不安な過去の事例を何百も並べて、「どうせ悪い方に向かうに決まっている」と思う方が安心な自分がいる。
ああ、やだ、本当にイヤだ。
と思っていたら、夢の中で
『感謝は人生の設計図』という言葉をもらった。
浮き世に持ってくるうちに、言葉の壁でドンピシャ感が薄れてしまったが、感謝している(つまりは自分の人生はなるようになると信用している)と、人生の設計図がどんどんはっきりと見えてくるので、ますますドーンと構えていられるよ、というようなメッセージだった。
ほんと、言葉にするのは不自由だな。
もっと奥深いメッセージだったのに、うまく言葉にできない。
自分が得をしたいからなにかに感謝するんではなくて、人生は信頼するに値すると知っているから感謝すればいいのか。
わかったような、わからないような。
でもこれからはできるだけ感謝するようにする。
ありがとうって、なんに対しても思えたら美しいだろうし。
まずは形から入るのも、パラダイムシフトのスイッチを押すのには有効かもしれない。
とにかくなんでもいいから、形を変えていきたいので、できそうなことはなんでも試してみよう。